女の幻

 毎日違う女が家にやってくる。髪の長い女、日焼けした女、ひどく肥った女。若い女、それほど若くない女。彼女たちに共通していることは一様に質量を持たないこと。幽霊のように、ホログラムのようにスカスカで重みをもたない。
 僕は目くるめく女たちの来訪を決して拒絶しなかった。来訪とはいっても彼女たちは別に玄関にインターフォンを鳴らして現れるわけではない。ある時にはベランダに、ある時には浴室に、ある時にはクローゼットに、忽然と出現するのだ。机に向かって読書をしていてふと顔をあげたとき、目の前に女の足があった、なんていうこともあった。だから本当はそれは女ではなくて煙か何かなのかもしれない。魔法の煙みたいなものが女の形をとっている、といったようなことなのかもしれない。
 女たちはいろんな格好をしている。衣類を身にまとっていることもあるし、まるっきり裸のこともある。僕は女たちといろんな風に時間を過ごす。女たちの顔立ちや体型や年齢が一様ではないように、彼女たちとの時間の過ごし方もまた一様ではない。ある時には僕らはソファに並んで映画を見る。ある時には一緒に昼寝をする。ある時には一緒に食事を作って食べたりする。ある時には一緒に部屋の中で遊ぶ。トランプとか、オセロとか、鬼ごっことかそういう遊び。僕は彼女たちに様々なことを語り掛けるが、彼女たちから応答が返ってくることはない。
 とにかく僕は女性に不自由しなかった。毎日のようにいろいろな女性と僕は関係を結ぶことができたのだ。そんな女たちなど、本当は存在しなくて、すべてはお前の妄想なのだと言われたら、あるいはそうかもしれない、と答えるほかない。それでも僕にとっては、彼女たちの存在は紛れもない現実であるのだし、それが妄想だろうと煙だろうと、まるで実在するのと同じように僕は素敵で甘美な時を過ごすことができていたのだから、そうだとすれば、夢だろうと幻だろうと、何の違いがあるのだろうと思う。僕にとってはおんなじことなのだ!

 そんな日々を送っていた僕はだから、久しぶりにまともな質量を持った女が訪れたとき、おかしいほど取り乱してしまった。その女は重みをもち、汚れを持ち、匂いを持ち、声を持っていた。そういう女と接するのは、極めて久しぶりのことだった。いや、そもそもそんな体験が、かつて一度でもあっただろうか?
 その女が「現実」であると認めることには、多少の苦痛を伴った。いや、多少どころではない途方もなく掛値のない苦痛を伴った。僕はほとんど混乱し、恐れ、怯えた。彼女の存在が現実であることに対して怯えた。思えば現実と接点を持つことなど僕の生活には久しくなかった。僕はそんな風に生きていたのだ。女の枝毛やフケ、額やあごのニキビ、頬の染み、体のあちこちにあるほくろ、傷跡や毛の剃り跡、女が生身の人間であることを示す、血が通った人間であることをうかがわせる、そういった特徴のすべてが、僕の目にひどくグロテスクに映った。当初、僕はその女と同じ空間で呼吸することさえ苦痛だった。よほど逃げ出そうかと思ったのだが、逃げる場所などなかったし、女はそれを許してくれなかった。
「あんたは俺から逃げられねエんだよう」と女は言った。断っておくが、彼女は自分のことを「俺」と呼ぶ。
「おめえは逃げられねエんだよう。おい! どこへいこうっていうんだい? 逃げらんねエよ。俺につかまっちまったら最後、あんたは逃げらんねえノンさ」
 そう言って女はけたたましく笑う。その笑い声は幼児の奇声を思わせる。彼女は決して醜いわけではない。もちろん、かつて僕のもとを訪れていた女たちに比べればだいぶ見劣りはするものの、一般的に見れば美人の部類に入ると思われる。それもなんだか親しみやすい感じの美人である。言葉遣いからは想像もつかないかもしれないが、彼女はいかにも人に優しそうとか穏やかそうとか言われそうな顔立ちをしている。つまりおっとりとした丸顔で、大きな目はわずかに垂れていて頬はふっくらとしている。小さな口はサクランボのように赤いのである。
「あんたはこれから、俺と一緒に暮らすンだからねエ」女はそう言いながら僕の腕にもたれかかった。彼女はもちろん僕の「女性関係」について知らない。彼女に限らず誰もそのことは知らない。僕はそのことは秘密にしているのだ。
 僕はしばらくなすがままになっていたが、やがて意を決して言った。「この部屋は、あなたにはふさわしくないんだ。あなたみたいな女が来るところじゃないんだ」
 女は笑う。その笑い声は、何かひどく重いものを水に沈めたり引っ張り上げたりを繰り返す音を思わせた。
「何言ってやがる、おめえは俺のことを待ち続けていたンだろうが。わかってンだよ。俺には。あんたはどうせ、俺みたいなのが好きなンだよ」
 ああ、女たちはどこへ行ってしまったのか? この女が居ついてからというもの、煙のような幻の女たちは消え失せてしまった。僕は「おうい」とか「やあ」とか呼びながらあちこちを探した。かつて女たちが出現したことのあるいろいろな場所を。しかし誰の姿も見つけることはない。みんな申し合わせたみたいにここへ来るのをやめてしまった。僕は文字通りに煙一つつかむことができず、煙をつかむような気分で日々を過ごした。代わりに僕のそばにいるのは、ベッドに大の字になって臥しているのは、得体の知れない現実の女。彼女の存在感が、僕をほとんど苦しめる。彼女はこれまで僕が遭遇したどの女よりも現実感を備えている。当然のことだ、彼女は現実なのだから。
 女は今、ベッドに横になってにやにや笑いを浮かべながら僕を見つめている。恐ろしいことに彼女はそうやって誘いかけているのだ。僕が彼女に襲いかかるのを待っているのだ。もしこの後、実際に僕が彼女に襲いかかったとしても、それは僕が自らの意思で行った行為にはならない。ならないはずだ。僕は彼女にいわば脅迫されていて、それで無理やり襲いかからされているに過ぎない。そういう風にけしかけられているに過ぎない。僕は彼女に暴力的に支配されているのだ。
 予定通りにけしかけられた僕は、やむなくそれに従った。僕の動きに反応して、彼女は大声をあげる。後宮の女たちなら決して立てないような、粗野で荒々しい、ひび割れた声。彼女はひっきりなしにそんな声を立てて、壁や窓ガラスや天井を震わせた。僕は耳をふさぎたいほどだったが、あいにく両腕は自由にならなかった。それに、もし耳をふさいだりなんかしたら、この女は怒るに決まっている。僕は一度だけ彼女を怒らせた。そして二度とこの女を怒らせるようなことはするまいと誓った。それほどまでにそのときの女の形相は恐ろしかった。目は普段の倍ほどに見開かれ、それでいて瞳孔は線みたいに細くなって、大きく歪んだ口から赤い長い舌が飛び出した。舌先はもしかしたら、二股に分かれていたかもしれない。いなかったかもしれない。僕は彼女の憤怒を目の当たりにして、その顔を蛇のようだと思ってしまったために、舌が蛇みたいに分かれてしかもそれぞれの先端がぴくぴくと動いていたものと思い込んでいるが、確かなことは言えない。恐怖のあまりパニックに陥って、見てもいないものまで見たような気がしているだけかもしれない。

 行為の最中、何度かインターフォンが鳴った。僕も彼女もそれを無視した。おそらく隣の住人が、彼女の声について苦情を言いに来たのだと思う。僕は彼女の声に苛立つ隣人の気持ちが理解できたし、インターフォンを無視することには申し訳なく思いもした。しかし僕は中断するわけにはいかなかった。
 しばらく後で、彼女がオレンジ・ジュースを飲みながら言った。「今度鳴らしたら、俺たちの邪魔をしようとしたことを後悔させてやるわ。あいつにのっぴきならない恐怖を味わわせてやる」
 女が後宮を離れることはない。僕は絶えず彼女の監視下にある。だから僕がこっそりと隣人に警告を与えに行くことなどできない。僕にできるのは、隣人がまたインターフォンを鳴らしたりしないよう祈ることだけだった。
 女が言うところの「のっぴきならない恐怖」とは端的に言って拷問のことだった。彼女は刑具を使わない拷問に精通していて、ことあるごとにそれを実行する機会をうかがっているのだ。なぜ僕がそのことを知っているかというと、僕も一度拷問を受けたことがあるからである。例の怒らせてしまった時のことだった。女はそのときも同じ言葉を使った。これから罰としてあんたに「のっぴきならない恐怖」を味わってもらう。
 その時の体験は書き記すことができない。それは、ああ、言葉で表現しきれるものではないのだ! 体がぎりぎり収まるほどのサイズの小さな箱に無理に押し込まれ、その箱の中には、異形の無数の虫がいっぱいに詰まっていて、それらの虫たちが、僕の体の穴という穴から体内に入り込んで、内側から僕の内臓や骨や肉を食い荒らした。詳しい内容については思い出したくもないので伏せるが、あえてたとえるならばそんな思いをした。僕はそれ以来、彼女に対して従順にならざるを得ない。その記憶が今も生々しく残っているからこそ、僕は隣人の無事を願わずにはいられない。

 それにしても、彼女はいろんな意味で僕には重すぎる! 僕はもっと質量を持たない女が好きなのだった。彼女のように体重が五十キロ強もある女の相手をするのは簡単なことではない。煙のような女たちとの生活があまりに長く続いたために、僕の筋力は弱りに弱っていた。しかしおそらく五十キロ強というのは、女性の体重としてはそれほど重くはない。つまり現実の女性としては。しかし僕にとっては話は別だ! 彼女の現実性も体重も僕には重く、いとわしく、疎ましい。表面上はしかし、僕はいかにも彼女のことが気に入っている風にふるまわなくてはならない。少しでも邪険にしたり、奉仕を怠ったりすると、彼女はすぐに気づいて、すかさず指摘してくるのだ。本当に、うんざりするほど彼女はそういったことに敏感なのだ! そしてことあるごとに例の「恐怖」をほのめかす。僕がそれを死ぬほど恐れていることを知っているので、そうすれば従うものと思っているのだ。そして腹立たしいことにそれは事実で、僕は確かに従うほかはなかった。何を犠牲にしてもそれだけは避けたいと思う種類の恐怖だったから。
 もし次に隣人がまたインターフォンを鳴らして、彼女が先の宣言通りの行為を実行に移すことになったら、そのとき僕もきっとそのそばにいるはずだが、僕は間違いなく余計な手出しはせずに、隣人を見殺しにするだろう。
 あの拷問……、子供のころ、何かの漫画で、口の中に蜘蛛をいっぱいに詰め込まれて死ぬ場面を見て、恐ろしさのあまり僕はその漫画をその後読むことができなかった。思い出すたびに震えるような場面で、こんな死に方だけはしたくないと思ったものだが、まさか似たような思いを成長してから味わうことになるなんて? しかも僕の場合はそのあとも生き続けているのだ。その体験の記憶を残したまま生き続けることは、そのまま死んでしまうことと比べて、どちらが苦痛に満ちているのか?
 場合によっては、僕は彼女の行為に手を貸しさえするかもしれない。自分がひどい目に遭うことから逃れるために、他人を見殺しにするとしても、それは仕方ないことだとさえ思えてしまう。恐怖によって支配されるとはそういうことだ!

 次の日、残念なことにインターフォンは鳴ってしまった。音が室内に鳴り響いた瞬間、彼女は僕の行為を即座に中断させ、体を起こした。そして「あんたはここにいなよ。動くんじゃないよ」と言いながらベッドから降りた。
 僕は迷った。そうはいっても僕にもまだ良心が残っている。彼女の体にしがみついて、その動きを制止するべきか否か。彼女は床に散らばった服を拾い集めて身に着けている。その動作はまるで平然と、悠然としている。そうしている間にもう一度インターフォンが鳴った。どうやらドアの向こうの人物は、つまり隣人は、相当に苛立っているようだった。昨日は一度鳴らしたきりであきらめて去ったのに、今日は立ち去る気配がない。おそらく今日こそはしっかり話をつけてやる、というつもりでいるのだろう。ところで僕は何度か隣人と顔を合わせたことがある。背が高く、髪が短くで、いわゆるビーボーイ系の格好をしている。ヒップホップとかブレイクダンスを好む人物に特有の服装をしている。顔立ちはどちらかといえば整っていた。廊下ですれ違ったり、エレベータで一緒になったりすることがあるくらいで、言葉を交わしたことはない。しかしおそらく彼は、僕のことを見くびっている。そんな気配をたびたび感じた。僕を見る彼の視線にはどことなく見下すような、小ばかにするような印象があった。そういう「なめられている」感じが、ちょっとした目の動かし方や姿勢から伝わってきた。この印象は間違っていないと思う。実際に僕のほうも、その隣人に対して居心地の悪さというか、絡まれたらどうしようという不安を、覚えていないわけでもなかった。
 そして今、彼はここぞとばかりにその感情をあらわにしている。だからこそ今では拳でドアを思い切り叩きはじめさえしているのだ。彼は相手が僕であれば怒鳴り込んで黙らせることなど容易にできると考えているのに違いない。そんな見くびりの気配もまた、ドア越しに伝わってくる。女と一緒だか知らないが、お前がどんなふうに出ようと、今日こそは黙らせてやる、彼はそう考えて、あんなふうに何度も荒々しくドアを叩いている。

 ああ、彼に教えてあげられたら。僕はむしろ隣人のほうを応援したい気分だった。彼が女を打ち負かしてくれればいいと思う。しかしもし、隣人が僕が想像する以上に野蛮で凶暴な男であったとしても、ドアを開けるなり、顔を出した相手をいきなり殴りつけるなどといった行動にはまず出ないだろう。とりあえず何か言おうとするはずだ。しかしそんなことでは、彼に勝ち目はないのだ。
 結局僕は、女がカバンの中からスタンガンと荒縄を取り出してドアに向かうのを、先ほど命じられた通りにその場から動くことなく、黙って見ていた。彼女のほうには最初から話し合いや言い争いをするつもりがないのは明らかだった。
 しかし数歩歩いたところで女は立ち止まって僕のほうを見た。
「おい」と女が言った。「来たのが隣人に間違いないかどうか、確かめとくれよ。考えてみれば、俺はそいつの顔を知らねえからな。もしかしたら、宅配便とか郵便局の人間かもしれねえからな。そうだったらえらいことになる」
 僕は立ち上がって玄関に向かい、魚眼レンズから外を覗いた。そこに立っていたのは紛れもなく隣人だった。あまりに怒りと苛立ちが激しいためか、彼は手首をぶるぶると振ったり、首を回したり、その場でぴょんぴょん跳ねたりしている。戦闘の態勢を整えているようだった。本当に開けた途端に殴りかかってくるつもりかもしれない。僕としてはそのことを望むしかない。僕がレンズを覗く間にも、彼は何度か拳固でドアを思い切り叩いた。
「間違いありません、隣の部屋の男です」僕はレンズから顔を離し、女のほうを向いて言った。普段は決してそうではないのだが、僕はそのときだけは彼女に対して丁寧な口の利き方をしてしまった。
 女はドアに近づき、入れ違いに僕はリビングに戻った。女がカギを開けてドアを押し開く。直後に怒声のようなものが聞こえてきた気がするが、定かではない。それはあるいは何か別の音だったのかもしれない。いずれにしても口論などは起きなかった。僕は女の後姿を黙って眺めていた。まさか隣人も、ドアを開けた途端にいきなり首にスタンガンを押し当てられるとは思いもしなかったのだろう。女のあげる声がうるさいがために苦情を言うつもりだったとしても、応対するのは僕のほうだと予測していただろうし、前述の通り彼は僕のことをみくびっていたはずなので、その分だけ彼は油断していたのだ。肉体的に劣る彼女が隣人を打ちのめすためにはそういう不意打ちしかなかった。しかし彼女は相手を恐れていなかったし、おそらく失敗するつもりもなかった。おそらく過去に何度も同様のことを行ってきたのに違いない。彼女の動作や態度には慣れがうかがえた。そして実際に外はすぐに静かになった。インターフォンもノックも聞こえなくなり、人が倒れるかすかな音がした。女は気を失った男の体を部屋に引きずり込んでドアを閉めた。そして荒縄によって男の身体を手際よく縛り上げた。
 うるさいからと苦情を告げに来ただけの隣人に、それほどの処置が必要なのかどうか僕にはわからない。しかし僕は彼女に異論をさしはさんだり疑念を呈したりすることはできない。
 そのあと女は宣言通りに隣人に「のっぴきならない恐怖」を与えた。意識を取り戻した隣人は、縛られたまま、彼女が提供する恐怖を存分に味わわされていた。女はもう気絶さえさせてくれない。意識を保たせたまま、体に傷を残すこともなく、可能な限りの苦痛を与える。そんな方法があることを、僕は実際に拷問を受けるまで知らなかった。誰にも想像もつかないようなことを彼女はやってのける。人間の想像力には限界がないことを彼女が教えてくれる。

 彼女は僕に一部始終を見ることを命令し、僕は従った。従うほかはなかった。耳をふさいだり、目を閉じたりしたら、僕も同じ目に遭う。僕は恐怖を体験する隣人を見続けた。彼はうめき声を洩らし、涎を垂らし、涙を流し、おびただしい汗を滴らせながら、縛られた状態で可能な限り身をよじらせていた。女は基本的には無表情だったが、特に残酷かつ恥知らずな行為に及ぶときにだけは、口元に薄く笑みを浮かべた。
 すべてが終わったあとで、隣人はいましめを解かれた。彼はもう子供のように従順になっていて、抵抗のそぶりも見せなかった。一切口外しないように、と彼女が告げると、隣人は素直にそのことを約束した。まるで人格が入れ替わったみたいだ。無理もないことだった。彼もまた彼女に支配されてしまった。解放された隣人は、のろのろと歩いて部屋から出ていった。

 幻の女たちは僕のもとを去ってしまった。しかるべき時が来るまで、彼女たちと再会することはないだろう。今もソファに寝そべって牛丼を食べているあの女が去る日まで。今日も僕は彼女とともに長い時間を過ごした。
「俺と一緒にいりゃあ、いいこともあるさ。そうだろう」
 女はそんなことを言う。僕は曖昧な返事をするばかり。
「お前は結局俺から逃げらんねえノンさ」
 それが生きるということ。幻の女たちとのランデヴウをあきらめ、恐怖で支配されること。ときどき僕は死後の世界について思う。死後の世界はあるいは、現世と同じか、それ以上に苦痛に満ちたものであるかも知れない。この女と暮らすようになって以来、よくそんなことを考えてしまう。彼女がもたらした恐怖は、僕に死を夢見ることを諦めさせた。

 すべてが変化しつつあることを僕は知る。僕は不思議なことに今では、彼女を失いたくないとも思っている。恐怖による支配力がなおも強まっているためか、それとも別の感情が芽生えつつあるためか、自分でもよくわからない。
 確かなのは、この女が紛れもない現実だということだ。僕は現実を受け入れなければならない。そろそろ僕の人生にも、そんな時間が訪れつつある。