納屋から物がなくなる

納屋に入るたびに物がなくなっている。それは気のせいではなかった。確かに物は減っている。今日久しぶりに自転車に乗ろうとして、それがどこにも見当たらなかったことで、僕はそのことを確信した。あるはずの物が見当たらないということはこれまでにもあった。でもそれはたとえば、のこぎりとか古本とか木工用ボンドなどといった取るに足らないものばかりだったので、すでに捨ててしまっていてそのことを忘れているだけだろうと考えて、さほど気にもしていなかった。しかし自転車となると話は別である。僕はそれを捨てた覚えはない。自転車のような大きなものを捨てて、しかもそのことをきれいに忘れてしまっているとはとても考えられない。自転車は古いものだったが不具合らしい不具合はなく、処分する理由などないのだ。それが納屋の真ん中に鎮座していた様子も、映像としてちゃんと覚えている。自転車が消え失せてしまったあとの納屋は嫌に広々としていて、ただならぬ違和感があった。
自転車のような大きな物を捨てるためには、市に粗大ごみの収集を申し込まなくてはならない。普段僕は粗大ごみを出すときインターネットで収集を依頼する。それで僕はメールソフトの受信ボックスを検索してみた。収集を依頼していれば、確認のメールが返信されているはずだった。しかし検索にヒットしたのは半年も前の、本棚を処分したときのメールのみだった。
もしかしたら電話で依頼したのだろうか? そんなことは一度もしたことがないし、そのことを忘れているはずもないが、念のために僕はスマートフォンのリダイヤル履歴を確認した。やはり収集センターに電話をかけた履歴はなかった。僕が自分で自転車を捨ててそのことを忘れていたのではないことは、それで明らかになった。
だとすると何者かが納屋に忍び込んで自転車を盗んでいったのだ。およそあり得なさそうな話ではあるが、ほかに可能性はない。確かに僕は納屋の扉にも自転車にも鍵をかけていなかった。誰かが忍び込んで盗もうと思えば簡単にできてしまう。自転車だけでなく、これまでその場所から消えて行った様々なものも、同様に盗まれたのかもしれない。でも一体誰が?どれも別に大切な物でもなければ貴重な品でもなかった。なくなっても別に困らないようなものばかりだった。しかし誰かに持ち去られたのかもしれないと思うと、やはり落ち着いた気分ではいられない。知らない間に血を抜き取られていたみたいな気分になっている。