旅行中、大雨で帰れなくなる

青春18きっぷを使って下関から金沢まで行った。帰りは大阪を経由して2日かけて帰る予定だったのだが、8月4日、金沢から出発した福井行の電車が大雨のために動かなくなる。美川駅で朝の10時ごろから夕方まで6時間近く閉じ込められ、雨は止む気配もなく、運行は再開する見込みもなく、大阪に行くことは不可能なので、予約していたホテルはキャンセルせざるをえなかった。キャンセル料を取られる‼😨…そのことに身を切られるような痛みを覚える。でもどうしようもない。最終的にJRがタクシーを手配してくれることになり、それに乗って福井駅まで。福井駅に着いたところ、その日は全部の電車の運休が決定していた。

北陸本線の運行は次の日8月5日17時から再開予定、ということだったので、その日は福井に滞在することにした。

駅のそばに快活クラブがあって、それを利用するのは初めてだったのだが、シャワーを浴びることができたので大変助かった。でも個室とかブースは埋まっていてそこに一晩滞在することはできなかった。泊まるところもないので仕方なく福井駅で夜を明かした。こんな形で生まれて初めての野宿を体験する。他にも何人か、駅のベンチで夜を明かそうとしているらしい人々がいて、奇妙な連帯感を覚える。バス停に平らなベンチがあったのでそこで寝た。もちろん野宿の準備などしていなかったので、寝袋もテントもないし、蚊には刺されるし、夜中にまた雨が降り出したときにはひどく寒かった。でも深夜に一人で駅にいるというのは意外に悪くないものだった。外で寝るのも思ったよりは平気だった。だからといってまともに眠れるはずもなく、ただ横になって目を閉じただけで、眠ったという実感など得られないまま、午前5時ごろにまた快活クラブへ。電車の運行が再開する予定の午後17時まで時間をつぶすことにしたのだった。そのときはリクライニングのブースが開いていたのでそれを利用した。シャワーを浴びて、無料のトーストの朝食を食べて、あとはひたすら眠った。ブースの外の音がすごく聞こえたけれども、BOSEノイズキャンセリングイヤフォンのQC20のおかげで、さほど気にすることなくすんだ。この道具は素晴らしい。この道具は何度となく僕を救ってくれた。これなしに旅はできない。快活クラブも素晴らしい。携帯の充電もできたし、このお店がなかったら死んでた。

15時ごろに出て駅に戻ったところ、乗るはずだった電車は運行を再開するどころか運休が決定していた。しかも9日まで。そのときの絶望感はひどいもので、このまま永遠に下関に帰れず野垂れ死にするのかと思った。金沢方面への電車はその日の21時に動く予定になっていたので、金沢まで戻って新幹線で帰ろうかとも考えたのだが、それはひどく気が進まなかった。わざわざ美川から福井まで長い距離をかけてタクシーで来たのに、また金沢に戻ることに強い抵抗があったし、新幹線に乗るというのも、なんとなくうんざりだった。それであれこれ考えているうちに飛行機のことを思い立った。小松空港から福岡行の便が出ていることを知ったのだった。チケットの値段も新幹線で帰るのとそんなに変わらない。それなら飛行機のほうがいい。6日13時の便があったのでさっそく予約した。それが18時ごろで、そのあと金沢方面の電車がくる21時まで時間をつぶした。駅の近くのラーメン屋で夕食をとった。福井駅とその周辺の光景は一生忘れないだろう。こんなに強い不安とともに過ごした場所というのはあまりない。
そして21時ごろに金沢へ向けて福井駅から発車した電車は、安全確認を行いながらゆっくりとすすみ、小松駅に着いたのは深夜0時45分ごろ。

今日はここで夜を明かさなければならないのだが、そんな時間にホテルに泊まれるはずもなく、2日続けての野宿になる。すでに野宿を一度経験して、いがいと平気だということがわかっていたので、少し楽しみですらあった。でも駅前でスケートボードで遊びながらたむろしている若者を見かけ、少し恐怖を覚え、駅の近くで寝るのは断念した。それで駅を出てなんとなく空港のほうに向けて歩きはじめていた。小松市街は何となく落ち着いたひっそりした印象があって、もっとゆっくりしたかったし、もっとましな状況で訪れたかった。なぜ僕は夜中に空港へ向かったのか?それは僕が空港なるものに対して思い違いをしていたからに過ぎない。空港もまた駅のように一晩中開放されているものと思い込んでいて(←バカ)、そこで寝泊まりすればいいと考えていたのだった。我ながら何を考えていたのか……ちょっと考えればそんなこと無理なのはすぐわかるのにね😅駅から空港までは4キロぐらいある。夜中に、寝静まった小松市街を、キャリーバッグを抱えて(タイヤがゴロゴロ音がしてうるさいので夜中に転がしながら歩くのに気が引けたので、抱えていたのだった。自分自身にとってもその音はうるさかった)歩く一人の男、ときどき道路を走り過ぎる自動車の運転手たちの目には、自分の姿はどんな風に見えるだろうと考えると、自分がかなり不気味な、頭のおかしい人間になった気がした。というかそのとおりだったのかもしれない。

午前1時半ごろに空港に着いたのだが、もちろんそこは完全に閉鎖されていたし、なんだか地の果てに来たみたいで、ほとんど絶望した。心細くて泣きたかった。顔を洗ったり歯を磨いたりしたかったのだがトイレもないし、いちばん近い公園を探したところ、そこから2kmほどもあって、もう歩く気にもなれないし、やっぱり駅の近くで朝まで過ごせばよかったと自分の愚かさを呪いながら、そのままバス停のベンチで寝ることにした。
やはり疲れていたので、そんな状況でも横になったとたんに強い眠気が襲い、2時間ほど眠った。午前4時過ぎごろ、寒さのために目を覚ます。身体が上下に激しくびくんびくんと波打って震えるほどの寒さで、とてもそれ以上じっとしていられないし、空も明るくなりかけていたので、起きて日本海を見に行くことにした。そうだ、金沢に来た目的の一つは、日本海を見たい、ということもあったのだが、面倒になってやめたのだった。その目的がこんな形で叶うとは、それで『ふれあい健康広場』というところに行くことにした。空港から2.4km。もちろんまた歩いて。歩く意外に手段がないのだった。

途中に公園があって水道もあったので顔を洗って歯を磨いた。6時ごろふれあい健康広場にはついたが、意外と人がいて、どこかに寝そべってひと眠りしようと考えていたのだったが、何となく落ち着かなくてできなかった。日本海はとてもよかったけど、それに感動する体力的・精神的な余裕すらないありさまだったので、結局海をちょっと写真に撮っただけですぐに引き返した。

空港に戻るとすでに開いていて、中に入ってチケットを受け取ってから、そのへんの椅子に寝そべって眠った。何も食べず、何も買わず、テレビに映し出された高校野球の開会式の映像を見るともなく見ながら、ひたすら夢うつつだった。

13時25分に、飛行機は予定通りに飛び立ち、ついに僕は北陸から離れた。そのときは、ようやく自分を阻んでいた見えない壁を突き破った感じがした。飛行機は墜落することもなく無事に福岡空港に着き、福岡空港に来るのも初めてだったのにうろつく余裕もなく、バスで博多駅へ向かい、快速電車で小倉まで行って乗り換えて下関へ。それでやっと旅は終わり。結局この旅行は、予定より1日伸びただけだったけど、すごく長く感じたし、最後の二日間の野宿ではほとんどまともに眠っていなかったので、帰りの電車の中では、一応目は開いていたものの半分意識がなかった。