個人ブログを読むこと/書くこと

昔はよく個人ブログを読んでいた。2008年とか2009年ごろのことである。赤の他人の見ず知らずの人たちによるいろんなブログを、RSSリーダーに登録して。ただの平凡な日記みたいなブログから、専門的な技術ブログまで、いろんなブログがあった。

今は以前ほど熱心に他人のブログを読んだりはしないが、それは面白いブログが減ったこともあるし、ブログという表現を選ぶ人が少なくなったからでもある。人々はより手軽なSNSに流れてしまった。

好きだったブログも今では更新が途絶えたりページが消滅したりしている。現在でも閲覧可能なものはときどき読み返すことがある。そんな懐かしいブログを眺めつつ思うのは、当時シニカルで冷笑的な人たちが馬鹿にしていたほど、ブログという表現手段は悪くないし、無意味でも無価値でもないということだった。ブログにはその時代を生きていた人々のリアルな言葉や感情や生活の断片が刻まれている。人々は文章や写真をブログに投稿しながら、彼らにとっての「現在」を、インターネットに残した。だから僕はそれらを読み返すとき過去に帰ることができる。2008年のブログを読むときには2008年に帰っている。そのとき僕は当時の空気を呼吸している。その頃に起きた個人的な出来事とか、ある気分とか、ある雰囲気とかを思い出したりもする。タイムトラベルとほとんど同じだ。そういうことは一つの価値だと思う。

SNSも悪くはないけれども、それはあまりにも刹那的で流動的なので、個人が何かを表明してもすぐに流れ去って埋もれてしまうし、またSNSによる発信は手軽なぶんだけ、切実さに欠けている感じもする。だから僕はやはりブログのほうが好きなのだった。