線を引くこと

その日、仕事は芳しく進まなかった。僕は規則正しく仕事をするたちなので、そうしたことは珍しい。大きく調子を崩すといったことがない。進捗の具合も規則正しいのだ。毎日規定の分量の仕事をこなす。僕は電化製品のマニュアルや機械製品に付属するマニュアルに記載されるイラストを制作する仕事をしている。美術大学を卒業したあとからずっとその仕事をしている。開業してしばらくは、仕事の依頼などろくになく、親からの経済的援助を当てにしたり、簡単なアルバイトをしながら、ただ絵を描いているだけの日々だったが、技術が評価されてだんだん仕事は増えていった。
僕は仕事を中止し、定規を手に取る。そしてそれを使って絵を描きはじめた。誰に見せるあてもなく自分のために絵を描くとき、僕はいつも定規を使う。幼い頃から僕はいつも定規を片手に絵を描いていた。曲線は不要なものだった。機械的な直線ばかりに惹かれ、人間的なフリーハンドの線に魅力を覚えなかった。

学校の授業で絵を描くときでさえ僕は定規を用いた。でもそのやり方を許容する教師はいなかった。図工の授業で、一枚の風景画をすべて定規で描いて仕上げたとき、教師は僕のやり方を批判した。批判というより、あのとき教師はほとんど激怒していたのではないかと思う。彼は感情をあらわにしないように懸命に自制していたが、それはほとんど成功していなかった。首筋に浮かんだ青い線や震えた指先、そして目の色に、怒りがあからさまに表れていた。教師は僕の絵に反抗的なものを見出したらしい。僕が彼の授業を否定し妨害しようとしていると感じたのだ。授業を否定することは担任である自分という人間を否定することにほかならない、と考えて、教師はあのとき怒っていたらしい。僕のほうには何の意図もなかった。僕は自分がしたいように描いただけだった。
「こんな風に描いてはいけない」と教師は言った。怒りを抑えようとするあまり、教師の声はむしろ普段よりもずっと優しく穏やかなものになっていた。
誰がそんなことを決めたのか、という意味のことを僕は言った。
「誰が、とかじゃあないんだ。絵を描くときには、定規を使ってはならない」
先生は授業の最初に、そんなことは言わなかった、と僕は言った。
「言わなくてもわかると思ったからさ。言うまでもないと思ったんだよ。でもそれなら今改めて言おう。絵を描くのに定規を使ってはならない」
なぜと僕は言った。
「自然というものは、定規の線で描かれるようなものではないからだよ。見てごらん、実物の杉の木は君が描いたのとはだいぶ違う様子をしている。木の幹や枝は、そんなにかくかくと、ぎくしゃくとはしていないよ。もっとずっとしなやかで滑らかで、美しい。君が描いた杉の木は、ひどく窮屈そうに見えるよ!定規の線ではああいう柔らかさが表現できない。だから駄目なんだ」
僕はこうやって描きたいのだと僕は言った。
「それだったら、休み時間にノートや落書き帳に書くといいさ。でもこれは絵の授業なんだからね」
授業でも必要な場合には定規を使ってもいいと思う、と僕は言った。
「よくないよ。だってどんな画家も、定規を使って絵を描いたりしない。絵を描くうえで最も重要なのは線だからね。画家の個性は何より線に表れるんだよ。定規なんて使ったらみんな同じような線になってしまって、同じような絵になってしまう。個性も何もない。それは芸術とは呼べないよ」
この男はでまかせをしゃべっている、と僕は思った。定規の線で個性を表現する方法はある。定規やマスキングテープなどを使ってフリーハンドではない線を描いた絵の例を僕は知っていた。教師だって知っていたはずだ。

彼は単に定規とか直線を問題にしていたのではなかった。芸術とか個性についても本当は関心などないはずだった。彼は単に、絵の授業で定規を用いた僕に対して腹を立てていた。彼はおそらく僕の態度に何か反抗的なものを見出したのだ。僕が彼の授業を妨害していると考えたのかもしれない。それで侮辱されたように感じたのかもしれない。彼はおそらく侮辱されることに慣れていなかった。
僕は別に先生に褒められたくて絵を描いているわけではない、と口にしようかと思ったが、言わなかった。なぜなら雲行きがひどく怪しくなっていた。上述のようなやり取りの間に、教師の怒りのボルテージは目に見えてどんどん増してゆき、もはや怒りが爆発しかけているのは誰の目にも明らかで、周囲で様子をうかがっていた同級生たちは、ほとんど怯えだしていたのだ。誰かが僕の背中を軽くつついた。これ以上余計なことは言わないほうがいい、という意味である。
それでそのあとは僕は基本的に黙って教師の話を聞いていた。

📏

僕は今もあの定規の直線だけで描かれた絵を持っている。小学校の担任の教師だけでなく、多くの人がこれまで、僕が定規で描いた絵を批判した。でも誰に何と言われても、僕はそのやり方を捨てなかった。その手法が、自分が望むものを表現するのに、もっともふさわしいと感じていた。はじめてそんな絵を評価してくれたのは後に妻となる女性である。そうだ、はじめて僕の絵を評価してくれたのは彼女なのだった。彼女は僕でさえやや気圧されるほどの熱意で、定規による直線だらけの僕の絵を気に入ったと言った。