同じ本を何度も読む人

彼は同じ本を何度も読む。一か月の間に一冊の本を、たいてい25回から30回読み返す。ページ数や内容によってその回数は前後する。だから彼が一年の間に読む本は12冊程度に過ぎない。そうした読書のやり方を、彼は22歳の時から、40歳になる現在に至るまで続けてきた。

誰もが考える、同じ本を何度も読んで飽きないの?もちろんその答えはノーでありつまり「飽きない」と彼は答えるしかない。実際に彼はそんな読書に倦怠を覚えたことはない。つまり彼にとってはその読み方が普通なのだ。最低でも1か月かけて、何度も読み返さないと、とうてい理解などできず、何も得られないし身につかないのだ。一度目を通しただけでは、ただ近くを透明な風が通り過ぎていっただけ、というふうにしか感じられない。
だから彼は月に30冊とか60冊とか読破すると豪語する読書家をもって自任する人々に出くわすと、ほとんどびっくりしてしまう。そんなやり方で本の内容を理解し記憶できるとはとても信じられない。しかし彼はおかしいのは自分のほうだと思っていた。繰り返し読まないと理解できないのは、自分の知性が平均より劣っているせいだと考えていた。

同じ本を何度も読み返していると、最終的には文章をほとんど丸ごと暗記してしまう。紙の手ざわりとか表紙とか本の重さなどの情報まで正確に記憶される。彼はこれまで読んだ本のことを隅々まで記憶している。その記憶は容易に消えない。人がコンピュータで検索するみたいに、ある語句やある文章が、どの書物のどのページに見出せるか、瞬時に思い出すこともできる。でもそんな能力はもちろん、何の役にも立たない。

長めに見積もって100歳まで生きると仮定しても、この先必要な書物はそう多くはない。そして彼はすでにこの先読むべき本を決めているし所有してもいる。それらの本は部屋の書棚におさめられている。読むべき本に関する限り、彼は死ぬまでその選択に迷う必要はないのだ。そのことは彼を不思議なほど安堵させる。