隠者

町はずれの森の奥に隠者が住んでいる。自分で建てた小さな家で一人で暮らしているらしい。 隠者とはいっても完全に社会とのかかわりを断っているわけではなく、ときどき町に出てきてスーパーや家電量販店で買い物する姿が見られるし、家はもちろん不動産登記されているし、税金の申告も行っている。スマートフォンやパソコンも所持している。つまり彼は現代風のインターネットを駆使する隠者だった。彼が人々にその存在を知られるようになったのもインターネットのおかげである。その人物はブログを運営していて、そのブログは日本語圏インターネットの一部において有名だった。

彼のブログは二つのテーマを柱としている。都市論、疎外論、詩、東洋哲学など、彼が個人的に関心を持っている領域についての論考と、普段の食事や生活の様子、収入と支出や個人的な趣味や道楽などについてつづった、彼の森における隠者的生活の記録である。哲学を論ずるときには長ったらしく連綿になりがちなその文章は、日々の生活について語る時にはうってかわってくだけた口語体になる。その文体の変わりようは同じ人間が書いているとは思えないほどだ。しかしいずれの場合にも文章にはしばしば文法的な破綻がみられる。その破綻は彼の個性として読者からは容認されている。
どの記事にも相当な分量があり、最低でも5000字、最も多いものでは100000字を超え、内容的にもそれなりに密度を持つ。隠者はそうした記事を毎日のように、およそ10年間にわたって投稿し続けていた。


私は自ら編集業務に携わる市の広報誌の中でその隠者を紹介する特集を企画した。町に住む有名人、あるいは特殊な職業に就く人物を紹介するコーナーの中で、彼を取り上げようというのだ。隠者が自らブログの記事の中で明らかにしたところによると、彼はブログがもたらす広告収入によって生活費用をまかなっているらしい。新しい生き方、新時代の働き方のモデル、職業ブロガー兼仙人。そんな人物はおそらく日本に何人もいない。特集する価値はあると思った。その珍しさのためにきっと読者の興味を引くことだろう。
しかしもちろんあの隠者が取材に協力してくれなければ企画は成立しない。そして謎の隠者が、快く取材に応じてくれるとも考えにくかった。それでも我々はだめもとで、彼がブログに公開しているメールアドレスを通じて取材を申し込んだ。意外なことに先方から比較的迅速に、しかしごくそっけない文面で、取材に応じるという趣旨の返事が来たので、我々は驚きつつ喜んだ。そして数日後、私はアシスタントとカメラマンとともに森の奥の家へと出向いたのだった。

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廃墟めいた小さな家の入り口にはインターフォンがなかったので私はドアをノックした。少ししてドアが開き、一人の男が姿を現した。隠者は想像したよりずっと平凡な風貌をしていた。隠者と聞いて私は漫画に出てくる仙人のような、長く白い顎髭を生やし白装束をまとった老人をイメージしていたのだが、目の前に現れたのはそんな人物ではなかった。ごく平凡な、どこにでもいそうな青年期をやや過ぎた男性だった。髭などは一本も生えていないし、髪の毛はきちんと整えられていて、背筋は伸びている。腕は太く身のこなしは機敏だった。いかにも健康で、屈強そうな肉体労働者然とした雰囲気があって、山の中で一人暮らしするというのは生半可なことではないのだ、ということを教えられる気がした。しかし二つの丸い目は鋭い知性を裏付けるような強い光をたたえている。彼は手振りであがるよう促し、我々は家に入った。

家は狭く、台所を除けば部屋は2つしかない。そのうちの一室、隠者が仕事部屋兼書斎にしているという部屋に彼は我々を案内した。八畳ほどの広さのその部屋は文字通り書物で埋め尽くされていた。しかし部屋そのものは清潔で、本は書棚にきちんと整理されておさめられていたし、床には埃一つ落ちていない。隠者は綺麗好きな性質であるらしかった。

インタビューが開始された。私が用意した最初の質問は、隠者が山奥で暮らすに至った経緯についてだった。最初の質問としてふさわしいのはそれ以外にはないと思ったし、そして我々はみな個人的に、そのことに興味を持っていた。
隠者は一語も聞き漏らさぬようにという真剣な顔つきで、私の目をまっすぐに見据えながら質問を聞き終え、そして話しはじめた。その時初めて彼はまともに声を発した。声は低くて張りがあり、声だけの印象だと推定される年齢よりさらに若々しく感じた。彼はゆっくりとした口調で質問に答えていた。そう、確かに答えていたはずなのだ。しかし隠者が声を発した直後から、ある違和感がただちに我々のうちに広がっていたのだが、彼が言葉を継ぐほど、その違和感は増大し、やがて極限に達した。つまり我々は彼が何を言っているのか理解できなかった。それは彼のブログにおける最も難解な記事がそうであるように、内容があまりに高度で専門的であるために理解が及ばないのではなかった。単純に彼が口にする言葉そのものが理解できなかった。一語もまともに聞き取れなかった。だから私は、私が日本語で行った質問に対して彼が外国語で答えているのではないかと思った。隠者が英語とドイツ語に通じていることは知られている。私には外国語の知識はないに等しいが、耳にすればそれが英語かドイツ語かは少なくとも判別はできる。明らかに彼が今話している言葉はそのどちらでもなかった。

表情を見る限り、隠者は我々取材陣を困らせてやろうとか、妙な言語で質問に答えて煙に巻いてやろうとして、ふざけてでたらめな音声を連ねているわけではなかった。彼は真剣に、誠実に、正直に質問に答えているようだった。それでいてその言葉は我々には一言も理解できない。聞き取れない。
およそ一分間話した後で隠者は言葉を切った。私はカメラマンともう一人の取材アシスタントと目くばせした。二人にも、彼の回答が皆目聞き取れなかったことは明らかであった。彼らの顔には困惑の表情が、ほとんどあからさまに浮かんでいたし、きっと私も同じ顔つきをしていたに違いない。私は隠者の返答に対して、ただ頷くだけにとどめ、何も言わずに次の質問に移った。口にできることなど何もないのだ。何しろ一つも聞き取れなかったのだから。インタビューの流れとしては不自然だが、隠者は特にそのことについて気にする様子も見せず、次の質問に対しても同じように丁寧に、そして同じように理解不能な言語で答えてくれた。ときどき言葉つきに力がこもったり、やや早口になったりした。もちろんどんな話し方だろうと聞き取れないのは同じである。

私はだんだん背筋が寒くなる気がした。つまりこれが彼の言葉なのだと私は思った。彼の日本語なのだ。彼はどこかの外国語を話しているのではない。彼は日本語をしゃべっている。喋っているつもりなのだ。隠者は私の質問に対してできる限り誠実に答えようとしている。しかしその口から生じる音声は、我々の耳にまともな日本語として響くものではない。これはどういうことなのだろうか? 長年の隠者生活、あまりに長く人間どうしの会話をする機会から離れていたせいで、言葉を忘れてしまい、少なくとも話し言葉としての日本語を忘れてしまい、それに伴って発音する能力もまた失われてしまったのか。

我々はもっともらしい顔をして当てずっぽうで頷いたり、どちらともとれるような曖昧な返事をしながら、その場を取り繕っていた。隠者は我々のそんな手ごたえのない反応に、何ら違和感を覚えないらしかった。彼は自分の言葉が日本語の態をなしていないことに、おそらく気づいてさえいないのだ。そしてこちらの顔色などろくに気にかけてもいない。彼はただ自分が伝えたいことを一方的に伝えようとしているだけに過ぎない。
そのやりとりはとてもコミュニケーションと呼べるものではなかったのに、我々取材陣は、いかにもそれが正常に行われているかのように演技していた。コミュニケーションが成立していると信じていたのは隠者ただ一人だけだった。

インタビューが終わり、私たちは取材に協力してくれたことについて隠者に感謝を伝えた。彼は礼儀正しく椅子から立ち上がり、頭を下げてそれに応じた。
そのあと隠者が庭で自ら栽培したというハーブでいれたお茶を振舞ってくれた。我々はおそるおそる(もちろんそうとは悟られないように)カップに口をつけたが、予想に反してそれは甘くて香ばしい素晴らしいお茶だった。我々はそれを飲みながらしばらく静かなひと時を過ごした。隠者はこちらが話しかけない限り言葉を発することはなかったので、我々はみな黙ってお茶を飲んでいればよかった。

そのあと我々は隠者に別れを告げ、小屋のようなその家を後にしたのだった。