せせらぎ

死んだことを知らせる葉書が来た。かつて交際していた女の名前が記されていた。僕は彼女と過ごした日々を思い出してしまう。楽しい思い出はほとんどなかった。あのころ、僕らはほとんどひっきりなしに疑い合い、傷つけ合っていた。僕らの間に愛情などあったのだろうか、もしあったとしても、それは正常なものではなかったはずだ。ちょっとしたことでしょっちゅう、毎日のように罵りあっていた。肉体を傷つけあうことさえあった。でもその割には、交際はけっこう長く続いた。喧嘩ばかりしていて、ほとんど憎しみあってさえいたのに、どうしてそんなに長く付き合えたのか、自分のことながらずっと不思議だったけれども、今ならその理由は少しはわかる。つまり僕も彼女もお互いに心置きなく傷つけることのできる相手を必要としていたのだ。僕は彼女を傷つけ、彼女も同じように僕を傷つけながら、その痛みによってどこか慰められてもいた。あるいは慰められようとしていた。要するに僕らはお互いにもたれかかっていたのだ。救いのない暗い日々、誰かを痛めつけることによって、目の間に横たわる未来から、つまり不安から目をそらしていた。そうやって人生におけるハードな時期をやり過ごそうとしていた。僕らは運命共同体だった。ああ、過ぎ去ってしまった僕らの20代。

そんな女が死んだ。どうして僕のもとに連絡が来たのか、考えてみれば不思議ではある。でも僕はほとんど何も考えず、迷うこともなく、5月のある日、喪服を着て彼女の家へ向かった。

彼女の家の門をくぐって通夜が行われる部屋に入ると、大きな遺影が目に入った。遺影の中の彼女は、記憶にある顔立ちのままだった。しかし彼女の笑顔は僕にとってなじみのないものである。交際を通じて僕は彼女の笑顔をめったに見なかったように思う。
祭壇にはたくさんの色とりどりの菊の花が飾られていた。僕は焼香し、意外なほど年老いていた彼女の両親に頭を下げた。

家にいる間じゅう聞こえていた、サヤサヤという音は、すぐ近くを流れる川の音だった。家を出てからそのことがわかった。それまで僕はそれを誰かのすすり泣きの声だと思っていたのだ。その音はとても澄んでいた。不自然なほどだった。水がこんな音を立てて流れることが信じられなく思えた。それで僕ははじめて悲しくなった。