溶岩のある部屋

迷路のように入り組んだ廊下の一角に、部屋があった。中に入ると、壁にかかった溶岩のポスターが目に入った。オレンジ色の溶岩が画面いっぱいに映っている。見ていると、まるで実際に溶岩のすぐそばのいるみたいに、身体に熱を感じた。
部屋の片隅に小人がいた。小人は膝を抱えて座り、その膝の上に額を乗せてうつむいていたが、僕に気づいて顔をあげた。ずんぐりと肥っていて、頭が妙に大きい。顔はよく見えない。黒っぽい透き通った布を頭から被っているみたいに、全体が暗い影に覆われているのだ。
僕は言葉を見つけられず、小人も何も言わないので、部屋は沈黙だった。薄暗い部屋の中で二人とも長く沈黙していた。正方形に切り取られた溶岩だけが明るく輝き、それは窓のようだった。急に眩暈に似た感覚を覚え、そして時間が何秒か、あるいは何分か、スキップしたような感覚があった。
部屋の隅に目をやると、さっきまでそこにいたはずの小人はもういなくて、いつのまにか僕の背後に移動していた。それは僕の後ろに立っていた。小人の頭は僕の腰より低い位置にあった。小人が何か言葉を発したはずだった。その響きが耳に残っている。でも僕には聞き取れなかった。いや、そうではない。僕は聞こえていたし、その言葉を理解してさえいた。しかしその言葉は記憶に定着しなかった。それは砂のようにさらさらとこぼれて散らばって消えてしまった。ありきたりな言葉ではなかった。印象的ですらあった。それなのにあっけなく忘れてしまった。思い出す手がかりさえみつけられない。…小人に聞き返すことは、はばかられた。聞き返すとか質問するとかいった行為が不適当に感じられた。僕は自分で思い出さなければならない。溶岩、と目の前にある絵を見て僕は思う。いや絵ではない。これは写真だ。見つめるうちに区別がつかなくなってくる。これが写真なのか、写実的な絵なのか。
何にしても、さっきの小人の言葉は、溶岩とはまるで関係がなかった。そのことにだけは確信がある。

小人が発した言葉は溶岩とは関係ない。

そうだ、僕はその乖離ぶりに、溶岩とはひとかけらも意味も概念も重なっていないことに、感銘を受けた覚えがある。何しろその条件にぴたりとあてはまる言葉を見つけ出すのは簡単ではない。まるで溶岩的ではない、溶岩という現象や言葉の響きから、もっとも遠いところにある(という印象を抱かせる)、そんな言葉。でもやはり思い出せない。頭の中がひたすら不確かで鈍く重くなっている。重たい毛布で脳を押しつぶされているみたいだった。暗愚、というやつだ。そんな言葉を自分が知っているとは思わなかった。しかし僕が探している言葉はもちろん「暗愚」でもない。

小人は死んだみたいに動かない。気が付くと僕は部屋の中を歩き回っていた。すべてを投げ出してこの部屋を去ることだってできる。そうすればこの小人のことだって完全に忘れるだろう。そして失われた言葉は永久に思い出せないままだろう。そのことに何か不都合があるだろうか?あるはずはなかった。それなのにどうして出ていけないのか?僕は部屋を何周もした。そして右から左から、近くから、遠くから、溶岩を眺めた。それはどの角度からどの距離から見ても溶岩でしかありえず、他の何にも見えなかった。
それは抽象的な言葉だった。決して難解でなく、ほとんどありふれていて、それでいてある種の荘厳さを備えた、そんな言葉。僕は無数にある日本語の単語の中からその一つの言葉を見つけなくてはならない。
頭の中では洪水のように言葉がつぎからつぎへと押し寄せ、自分にこれほどの語彙があったとは信じられない気がしたが、それでもその中にピンとくる言葉は一つも見つからず、僕は苛立ちと混乱と、そして溶岩の絵が演出する熱気のせいで、ほとんど気分が悪くなりかけていたのだが、そのときまた小人が何か言葉を発した。
僕は反射的に小人がいるほうを向いた。心なしか、さっきまで小人が全身にまとっていたあの影のような暗さはいくらか晴れて、今ではその顔だちの特徴が、おぼろげながらも見て取れるようになっていた。やけに鼻と口が大きく、その間をいくつもの深い皺が走っている。僕が考えていたよりずっと小人は年老いていた。
何か言ったかい、と言いそうになるのを、僕は寸前でこらえた。僕はこの部屋に入ってから一言も発していない。そして言葉を発することに強い抵抗があった。この部屋には一語も残してはならない。
小人が発したのは二つ目の言葉は、先のものと合わせて、一つの意味のある文章になるはずだ。そんな気がする。でもあの小人は、そもそも何も言っていないかもしれないのだ。

長い時間が過ぎたあと、僕は部屋を出る決心をした。でも小人に挨拶なんてできない。一言も発しないと決めたのだから。それでも立ち去り際、僕は小人のそばに寄り、その大きな、真ん丸な顔を見下ろした。そしてその横に広がった唇の端に、薄い微笑のようなものが浮かんでいるのを見た。
わけのわからない衝動のようなものが、胸の内に起こったが、それを行動に移すことはしなかった。僕は無言で部屋を去り、また長い廊下を歩きだすのだった。

私は書物を閉じた

読書があまり楽しめなかったと感じた。物語はひたすら長く、その長さに必然性もなく、終盤になるにつれて内容は支離滅裂になった。文体は最初のほうと終わりのほうとではまるで別人のようだった。
でもこういうことはありうる。一人の人間が、数百万字に及ぶ文章を書いて、それ以前と以後とで同じ人間であるはずがない。彼/彼女は書きながら、別のものへ変容する。小説とはその変容の過程に生み出される産物なのだ。文体が変わるのも無理はない。
この本の著者が最終的に変容した形態は僕の気に入るものではなかった。ただそれだけのこと。

顔をあげると、机の上にひとつの言葉が浮かんでいた。言葉は金色に光りながら立体的にそこにあった。
あの長大な本の中から、僕はその一語しか、得ることができなかった。でもそれでいいと思っている。
僕は手を伸ばして指先でそっと触れてみた。輝く言葉は手を触れても消えることもなく、そこにとどまっていた。僕は長い間、それを撫でたりつついたりして遊んだ。

暗い夜

夜中、コンビニに行った帰り、外が異様に暗かった。街灯はすべて消えていて、信号さえ死んでいる。車は一台も走っていない。建物も道路もガードレールもすべてが黒い綿で覆われたみたいに真っ黒だった。
歩道を歩いていると、顔まで真っ黒な姿をした自転車に乗った3人組が、場違いな大声で何かわめきながら、走り去っていった。
僕は黒い横断を歩道を渡り、黒いアパートに戻った。部屋に入ると室内もまた真っ暗で、なぜかブレーカーまで落ちていた。室温は4度を示している。僕は布団にくるまり、震えながら、朝を待つのだった。

 

リンゴの写真はどこへ行ったのか


テーブルの上にリンゴがあった。それを眺めていると、昔のことを思い出した。昔に住んでいた部屋で、テレビ台の上になんとなくリンゴを置いておいたことがあった。そのとき、そこにリンゴが一つあるだけで、自分の部屋がまるで別の場所に変わったような気がして、そのことが面白かったので、僕は何枚かその様子を写真に撮ったはずだ。
でも今、その写真はどこにもない。僕は写真はすべてパソコンのハードディスクに保存していて、どんな写真だろうと消すことはないので、これはおかしなことだ。あのリンゴの写真はどこに行ったのだろう。写真がなくなったことがなぜかひどく悲しくて、代わりに今テーブルの上にあるリンゴを写真に撮ろうかと思ったが、このリンゴには、なぜかあんまり惹かれない。当時住んでいたあの部屋の、テレビ台の上にあったリンゴのほうが、ずっと良かった。

雪の海岸にて

12月のある朝、珍しくこの地方に大雪が降った。
僕は海岸へ散歩に出かけた。家のすぐ目の前が海岸なのだ。本当にすぐ目の前、玄関を出て10歩も歩けば、すでに砂浜に立っている。
海岸を散歩することは僕の習慣である。早朝に、あるいは日没後に、ときには午後の真っただ中にだって、僕は海岸をうろつく。それは今や食事や睡眠などと並んで生活に不可欠な行為になっている。一日も欠かしたことはなかった。

普段は黒々としている岩場は今朝、雪で覆われてくまなく真っ白だった。あちこちに、誰かが作った雪だるまがあった。それを見て僕は不思議がった、いったいいつ、誰が、雪だるまなんて作ったのだろう。雪が降り出したのは昨日の夜で、今はまだ朝の5時だった。雪だるまを作るための時間などほとんどないはずだった。
でもそうしたことは考えてもわからないし、とにかく散歩を続けた。

海岸の端のほうまで来たとき、また珍しいものを見つけた。それは小型の飛行機だった。頭から真っ逆さまに墜落したような格好で、白い機体は雪の地面に斜めに突き刺さっている。損傷はまるで見当たらない。あたりに残骸が散らばったり、負傷した乗客が倒れていたりするわけでもない。その物体は奇妙に静謐な印象があった。飛行機の形をした芸術作品のようにも見える。
小型であろうとなかろうと飛行機の墜落は重大な事故であり、騒ぎにならないはずがない。でも僕は現場のすぐそばに住んでいるのに、それらしい物音は聞かなかった。昨日からこのあたりはずっと静かだった。昨日まで海岸に墜落飛行機などなかったことについては神に誓うこともできる。何しろ僕は毎日海岸を散歩しているのだ。昨日は朝と夕方の2度、散歩をした。どこにも飛行機など絶対になかった。僕は海岸を端から端まで何度となく往復したから、そんなものがあれば気づかないはずがない。
僕は飛行機のまわりをうろつき、機体をあらゆる角度から観察してみた。やはりどこにも傷も損傷もなく、出来立てのようにきれいだった。あるいは本当にどこかの現代芸術化がこしらえた作品なのかもしれない。裏側へまわったとき、そこの地面にまた雪だるまがあった。それはやけに手の込んだ雪だるまで、貝殻で作られた目玉はキラキラと輝き、木の切れ端で作られた口元は、笑うみたいに曲がっていて、折れた枝で作られた両腕は、万歳をするみたいに誇らしげに掲げられていた。雪だるまは飛行機の根元でそうやっていかにもご機嫌そうだった。