2021-01-01から1年間の記事一覧

嵐の午後の音楽

黒くて小さな物体が、すごい早さで窓の外を横切っていった。あまりに早すぎて何だったのかもわからない。強風がいろんなものを吹き飛ばしているのだ。山のそばに建つ、引っ越してきたばかりの古い家ではじめて体験する嵐は怖ろしかったが、僕はどこかそんな…

海底都市の魚

倒壊した建物群の隙間を走る街路にはあちこち大穴が開き、看板や標識の文字は薄れて読み取ることもできない。折れたマストや錆びた鉄の塊、生き物の骨やジュラルミンの欠片などといったがらくたが、いたるところに転がっている。尖塔のてっぺんに嵌め込まれ…

最後のピラフの件

日曜日の午後のことだった。自分で作ったピラフを食べる途中に突然食欲が完全に失せた。ひどくまずい、と思った。どうしようもなく、吐き気を催させるほどに不味いと思った。僕は手にしていたスプーンを叩きつけるように皿の上に落とし、テーブルに肘をつい…

鳴き声

窓辺に立っていると鳴き声が聞こえた。ピ、ピ、ピ、ピ、ピと高さの異なる二つの音を交互に繰り返す鳴き声。しばらくすると別の方向から同じ鳴き声が聞こえてきた。でもそっちの鳴き声は、最初に聞こえてきたほうと比べるとずいぶんたどたどしくて、何度もつ…

ドアの外に立っていた男

ある日ドアを開けると男が立っていた。背が低くまるまる肥った、醜悪な風貌の男だった。いつからそこにいたかはわからない。そしてどうしてインターフォンを鳴らさないのか、それとも今ちょうど鳴らすところだったのだろうか?僕はその男に見覚えがあった。…

ある寒い国のバーにて

暖かさを求めて飛び込んだバーはどこか寂しかった。集まった客たちも、バーデンダーさえも、みな寂しげな目つきをしていた。僕はカウンターに肘をついてウォトカをちびちびと飲んでいた。そんなものが飲みたかったわけではないが、ウォトカのほかには置いて…

納屋から物がなくなる

納屋に入るたびに物がなくなっている。それは気のせいではなかった。確かに物は減っている。今日久しぶりに自転車に乗ろうとして、それがどこにも見当たらなかったことで、僕はそのことを確信した。あるはずの物が見当たらないということはこれまでにもあっ…

窓に消えた亡霊

かつて僕は山のふもとに立つ古い家に一人で暮らしていた。その家には幽霊が出た。それまで僕は、幽霊と出くわした経験を一度も持たなかったので、はじめてその二つのぼんやりとした人影を目にしたときには、本来であればもっと驚き、もっと取り乱していても…

金色の瞳

朝早く、長く黒い髪の毛を揺らし、黒い肌にそよ風を受け止めながら、少女はゆっくりと、軽快な足取りで森の小道を歩いていました。久しぶりに会う恋人のことを思いながら、その二つの目はキラキラと明るく輝いていました。少女は薄い金色を帯びた美しい瞳を…

禁じられた場所

建物の位置関係のために、一日に一度も日が差さない一角。面積にして10㎡、直角三角形のような形をしたその地帯は、街の住民から禁じられた場所と呼ばれている。人々は滅多にその一角に足を踏み入れない。基本的には近寄ることもない。その影の中に入るとた…

音のない小部屋で

その男は白い小部屋に閉じ込められて毎日24時間、ひっきりなしに音を浴びせられながら過ごし、狂気に陥らなかった唯一の被験者だった。同じ環境に置かれた被験者たちはみなすぐに精神に異常をきたし、妙な言動を発したり、暴れまわったり、胸や首を血が出る…

訪問者

当時、僕は大学生だった。ある日アパートで机に向かってレポートを書いていると、インターフォンが鳴った。立ち上がって玄関へ行き、ドアから魚眼レンズを覗いてみたところ、廊下には誰の姿もなかった。不可解ではあるが、こういうことは意外によくある。だ…

雨のブラックホール

雨の午後、ベランダにブラックホールが出ていた。ソフトボールほどのサイズの小型のもので、雨粒はみんなそのブラックホールに吸い込まれてしまって、だからコンクリートの地面は全く濡れていなかった。空から真っ直ぐ降り注ぐ雨は、地面の近くで急に折れ曲…

パウル・クレーのある部屋

帰宅して一通りやるべきことを終えると、カイトは壁に掛けた絵を眺める。それはパウル・クレーの絵画、かつて彼が自分で模写したもの。彼は毎日その絵を眺めながら頭の中で想像で別の絵を描いた。そのことは彼の一日の楽しみだった。毎日異なるアイデアが浮…

不眠/走ること

3か月ほど前から不眠ぎみになって、夜中に何度も目が覚めたり、明け方に起きてそのまま眠れなくなったりするようになって、それで早朝に走るようになった。それで知ったのだが走るのは楽しい。こんなに楽しいとは思わなかった。歩くのより何倍もよい。歩くの…

白い丘

女が丘の頂上の階段に腰かけて一人で歌っている。無伴奏の儚いメロディー。曇った灰色の空の下、赤いワンピースが風にはためき、彼方には空と同じ色の海が広がって、波が静かに打ち寄せ散ている。海と女を同時に映すその画面にスタッフロールが重なり、映画…

魔物に乗って野を駆ける人

荒涼とした土地に一人きり、魔物にまたがって進みながら、何度も似たような孤独を味わった。雪道で、トンネルで、山奥で、暗い白夜の土地で……。荒涼であるがゆえに、寂しいがゆえに、ある快さを呼び覚ます景色が存在する。旅の過程でバドはそのことを学んだ…

サモア

午後になると風はろくに吹かず、島は淀んだような熱気に包まれる。森の奥で一人の少女が笛を吹いていた。祖父が彼女のために作ってくれた、竹でできた横笛だった。鳥の鳴き声を真似た短い旋律を何度も繰り返している。少女にとって鳥は友人であり、音楽の先…

本に挟まっていた古い(夏の)レシート

ページをめくったとき、紙切れが足元に落ちた。拾いあげてみると古いレシートだった。『2007年8月31日14時29分』と日付が印字されている。確かに僕は14年前のその日、そのカフェでアイスコーヒーを飲んだ。その日のことを僕はすぐに思い出した。記憶は不思議…

祭囃子

タロウはときどき腰をかがめて、砂の上に転がっている透明な石を拾い上げる。それは波によって削られて角の取れたガラスの破片、いわゆるガラス石だった。海岸に来るたびに彼はガラス石を拾って持ち帰るのだ。この砂浜には実に多様な色と形のガラス石が落ち…

宇宙和声

山頂近くの斜面に開いた深い穴の底に、その物体は鎮座していた。細長い三角錐の形をしていて、尖った頂点はわずかに折れ曲がっている。材質は金属でもプラスチックでも木材でもない未知の物質だった。滑らかな表面は虹を混ぜたような不思議なクリーム色をた…

遠い波

雲った風の強い日の午後のこと、ケイはひとりで坂道を下っていた。一緒に帰っていた友人とついさっき別れたばかりだった。二人は帰り道でほとんど口を利かなかった。機嫌を損ねていたのか何なのか、ケイにはわからなかったけれども、友人はまるで不機嫌を伝…

真夜中の神聖ダンス

暗い部屋の真ん中に立ち、男はゆっくりと身体を動かしはじめた。両腕は空間に張り巡らされた透明なレールをたどるように滑り、足は床にいくつもの円を描く。紙のように軽やかなその動作は一切音を立てなかった。吐息も衣擦れの音もなかった。壁の時計は2時30…

クリームソーダに溺れて死ぬ

ねえ。何?何か飲みたい気がするわ。そうだね一言で済むようなことでも、いちいちねえと呼び掛けて、僕の返事を待ってから用件を伝えるのが、彼女の癖だった。もう少し行くと、喫茶店があるよ。コーヒーが飲める、素敵な喫茶店だよ。窓から海も見える大した…

ゆるふわ忘却

朝目を覚ましたとき、僕はゆるふわにとらえられていた。バニラ色のゆるふわ煙霧が僕を閉じ込めていた。その霧に捕まったら基本的にもう二度と元のところへは戻れない。そのことは覚悟しなくちゃならない。しかし僕は意外なほどあっさりとすべてをあきらめて…

土曜の午後のホワイト・マドレーヌ

帰り道で何度もその言葉を頭の中で繰り返していた。おそらく今日僕はどこかでその言葉を拾ったのだ。少なくとも今朝アパートの部屋を出たときには、そんな言葉は知らなかったはずだから。どこかに落ちていたその言葉を自分でも気づかないうちに拾ったのだ。…

雨を待つ日曜日

今日はどこにも出かけるつもりがなかった。僕は窓の外の曇り空を眺めながら、朝食のためにホットケーキとヨーグルトを食べ、コーヒーを飲んだ。食べ終えたあと、しばらくぼんやりする。そうやって何もせずにぼんやりする時間が、僕の生活にはとても多いので…

陽だまりの幽霊

アパートは廃墟のような古びたビルと隣り合っていた。窓から手を伸ばすとその黒ずんだ灰色の壁に触れることができた。日当たりはもちろんすこぶる悪い。この街ではそうした住環境は珍しくなかったし、僕には部屋を選り好みできる余裕がなかった。何も考えた…

悪は滅ぼさなければならない。手始めに僕は鴉を殺すことにした。 エミエの髪の毛のように真っ黒な鴉は言ったものだ。≪虚無を充填したまえ≫。つまりそんな風に聞こえる声で鳴いた。 エミエ、死んでしまった恋人。そして憎むべきあの黒い鳥は、電線の上にどう…

『ジャンピングフラッシュ!』に捧げる詩

尖った屋根の先端も、細い切れそうなロープも、わずかなポリゴンの出っ張りでさえも、おかまいなしに足場にしながら、騒がしくカラフルなフィールドを飛び跳ねるとき、僕は着地と跳躍の申し子になった気分だった。 浮上と落下の反復が生みだすリズムが、僕の…