2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

宇宙和声

山頂近くの斜面に開いた深い穴の底に、その物体は鎮座していた。細長い三角錐の形をしていて、尖った頂点はわずかに折れ曲がっている。材質は金属でもプラスチックでも木材でもない未知の物質だった。滑らかな表面は虹を混ぜたような不思議なクリーム色をた…

遠い波

雲った風の強い日の午後のこと、ケイはひとりで坂道を下っていた。一緒に帰っていた友人とついさっき別れたばかりだった。二人は帰り道でほとんど口を利かなかった。機嫌を損ねていたのか何なのか、ケイにはわからなかったけれども、友人はまるで不機嫌を伝…

真夜中の神聖ダンス

暗い部屋の真ん中に立ち、男はゆっくりと身体を動かしはじめた。両腕は空間に張り巡らされた透明なレールをたどるように滑り、足は床にいくつもの円を描く。紙のように軽やかなその動作は一切音を立てなかった。吐息も衣擦れの音もなかった。壁の時計は2時30…

クリームソーダに溺れて死ぬ

ねえ。何?何か飲みたい気がするわ。そうだね一言で済むようなことでも、いちいちねえと呼び掛けて、僕の返事を待ってから用件を伝えるのが、彼女の癖だった。もう少し行くと、喫茶店があるよ。コーヒーが飲める、素敵な喫茶店だよ。窓から海も見える大した…

ゆるふわ忘却

朝目を覚ましたとき、僕はゆるふわにとらえられていた。バニラ色のゆるふわ煙霧が僕を閉じ込めていた。その霧に捕まったら基本的にもう二度と元のところへは戻れない。そのことは覚悟しなくちゃならない。しかし僕は意外なほどあっさりとすべてをあきらめて…

土曜の午後のホワイト・マドレーヌ

帰り道で何度もその言葉を頭の中で繰り返していた。おそらく今日僕はどこかでその言葉を拾ったのだ。少なくとも今朝アパートの部屋を出たときには、そんな言葉は知らなかったはずだから。どこかに落ちていたその言葉を自分でも気づかないうちに拾ったのだ。…

雨を待つ日曜日

今日はどこにも出かけるつもりがなかった。僕は窓の外の曇り空を眺めながら、朝食のためにホットケーキとヨーグルトを食べ、コーヒーを飲んだ。食べ終えたあと、しばらくぼんやりする。そうやって何もせずにぼんやりする時間が、僕の生活にはとても多いので…