フィクション

光る心臓

ちょっとしたいざこざから刃物で胸を傷つけられて、傷口から心臓がむき出しになった。初めて自分の心臓を自分の目で見て知ったのだが、心臓は光っていた。白っぽい光をまばゆいほどに放っていた。おかげで眩しくて眠ることもできない。でもそれは力強く美し…

彼女は血まみれ

夜の路上で血まみれで倒れている女を見つけた。女は笑っていた、大きな口を開けて、不自然なほど愉快そうに、楽しそうに。女はよく見ると、知っている人に似ている気がして、僕はつい足を止めて見てしまう。信じられないほどたくさんの血が彼女の身体を覆っ…

夜のメタル・ドルフィン

ビルの陰からいきなり現れた大きな紫色の物体、それはイルカだった、都市の真ん中で出くわしたイルカは、どこかテカテカした金属めいた光沢をたたえていて、本当に鉄でできていたのかもしれないけれども、そうだとしても驚かない、なぜなら都会というのは、…

切り落とされた左手

激しい雨の中、僕はバス停の屋根の下でベンチに腰掛けていたが、あとからやってきたその男は、座らずに立っていた。しばらくして、すぐそばからゴリゴリという音が聞こえてきた。顔を上げると男が、右手に持ったのこぎりのような道具を自らの左手の手首にあ…

人類が死滅した夏休み

ずっと何年も地下に閉じこもって生活していたから、久しぶりに外に出たとき、眩しくて眩暈がした。空は青く晴れ渡り、太陽はぎらぎらと輝き、日陰の色は異様に濃く、まぎれもない夏だった。僕は眩暈と頭痛に耐えながら、身体を引きずるようにして、近くの道…

4頭の青い猫

日に日に家に動物が増える…、同居人があちこちからいろんな動物を連れてくるせいだ。彼女はたんなる多頭飼いの域を大幅に超えて、もはや、動物を飼育することが一種の依存症のようになっているのだ。猫や犬、タヌキやリス、ヤギや猿、家のありとあらゆる空間…

溶岩のある部屋

迷路のように入り組んだ廊下の一角に、部屋があった。中に入ると、壁にかかった溶岩のポスターが目に入った。オレンジ色の溶岩が画面いっぱいに映っている。見ていると、まるで実際に溶岩のすぐそばのいるみたいに、身体に熱を感じた。部屋の片隅に小人がい…

私は書物を閉じた

読書があまり楽しめなかったと感じた。物語はひたすら長く、その長さに必然性もなく、終盤になるにつれて内容は支離滅裂になった。文体は最初のほうと終わりのほうとではまるで別人のようだった。でもこういうことはありうる。一人の人間が、数百万字に及ぶ…

暗い夜

夜中、コンビニに行った帰り、外が異様に暗かった。街灯はすべて消えていて、信号さえ死んでいる。車は一台も走っていない。建物も道路もガードレールもすべてが黒い綿で覆われたみたいに真っ黒だった。歩道を歩いていると、顔まで真っ黒な姿をした自転車に…

リンゴの写真はどこへ行ったのか

テーブルの上にリンゴがあった。それを眺めていると、昔のことを思い出した。昔に住んでいた部屋で、テレビ台の上になんとなくリンゴを置いておいたことがあった。そのとき、そこにリンゴが一つあるだけで、自分の部屋がまるで別の場所に変わったような気が…

雪の海岸にて

12月のある朝、珍しくこの地方に大雪が降った。僕は海岸へ散歩に出かけた。家のすぐ目の前が海岸なのだ。本当にすぐ目の前、玄関を出て10歩も歩けば、すでに砂浜に立っている。海岸を散歩することは僕の習慣である。早朝に、あるいは日没後に、ときには午後…

醜い7人組バンド

そのバンドのメンバーは7人いて、7人全員が醜くて、それもちょっとやそっとの醜さではなかった。世界で最も醜い7人を集めたみたいだった。そのうえ全員のファッションセンスが終わっていて、みんなそれぞれ変なトレーナーとか、変な帽子とか変な耳飾りとかを…

冬の朝の遠くの鐘の音

朝、庭のビオトープに氷が張っていた。ガラスみたいな薄い氷を割って、水に手を入れたとき、中に生き物はもういないことを思い出した。生き物はずっと前にいなくなってしまったのだ。だからこれは今ではビオトープとは呼べない。水と草と石が入っているだけ…

青白い駅

今日駅で後ろを歩いていた人が言っていた、この駅もずいぶん寂れたねえ、と。確かに駅はずいぶん変わった。昔を知る人が久しぶりに訪れたら、その変わりように驚くに違いない。かつてはこの駅は結構にぎわっていたのだ。広い構内にいろんな店があり、大勢の…

庭の樹

庭の雑草が育ちすぎてどうしようもない感じになったので、造園業者を呼んで除草してもらった。作業が終わったあと庭は広々とした。その庭の片隅、これまで草がたっぷり生い茂っていたあたりに、一本の見慣れない木が生えているのを見つけた。それはどことな…

改札口の女

駅の改札の手前に、畳が4枚並べられていて、そこに一人の女が座っていた。長いスカートを広げて、背筋を伸ばして正座していた。改札を通り抜ける人たちは迷惑そうにしていた。そんなところに畳があるせいで、2つか3つぶんの改札口が塞がれ、駅の混雑はひどく…

無人島のフクロウ

もう何もかもに嫌気がさしたのでボートで海を漂流する生活をはじめた。しかし僕には航海の経験も知識もなく、そのうえまるっきり海を舐めきって見くびっていたので、すぐにちょっとした嵐に見舞われてボートは転覆して難破した。荷物にしがみついて海を漂っ…

私は彼がゆっくりと死んでいくのを見ている

私は電話をかけて、尋ねた。いま何をしているの? 彼女は答えた。「私は彼がゆっくりと死んでいるのを見ている「震える唇が、私の名前をつぶやくの。「そのとき顔に笑みのようなものが浮かぶの。頬に薄いえくぼができて。「ずっと弱っていて、まるで病んだ子…

部屋の空白

引っ越しの準備を終えると、部屋はがらんとした。部屋のいたるところに、入居した日以来、いちども目にしたことのない部分があらわになった。彼女はそんな空白を長い時間見つめていた。これまで何年も、それらの空間は、なにかしらの物体に占められていたの…

クジラのいる海底ドーム

海底ドームの外周に沿って、流線形を描くその巨体はゆらゆらと、休みなく大きな円を描くように、何度となく続けられたその遊泳は、何によっても妨げられることはない。常に同じ速度で、規則正しく、休むことなくひたすら続く。まるで永遠を象徴するように。…

身に覚えのない罪

いつものようにブログに出まかせの嘘の作り話を書いて、投稿したら、知らない人からコメントが来て、あのときの犯人はあなただったのですね、今でも許していません、などと書き込まれていて、僕は何のことかわからず、完全に無視していたのだが、コメントの…

存在しないものの影

朝起きるとカーテンの隙間から朝日が差し込んで、壁の一部を照らしていた。その細長い長方形の光の中に、紐のような形の影が落ちていた。僕は不思議に思った。そんな形の影を作るものは、部屋の中にも外にも、どこを探してもないのだ。ということはこれは存…

草むらの黒い文字

家の近くの草むらみたいなところに、黒い小さな塊のようなものがたくさん落ちていた。ごみ袋か何かかと思ったが、よく見るとカラスの死骸だった。たくさんの死骸が、まるで地面に大きなひとつの文字を書くように並べられているのだった。そうだ、確かにそれ…

下から眺める高速道路

都市の北部は工場や倉庫が多く立ち並ぶ工業地帯であり、道路は広く車線は多く、大型トラックが多く行き交う。そのあたりの歩道を歩くとき、僕はたいていいつも上を見上げている。頭上には高速道路が走っていて、それは曲線を描き交差しながらあちこちへ向け…

迷子の砂漠

太鼓に似た音と、がやがやした話し声が聞こえてきて、それにいざなわれるように歩いていたが、音は奇妙な響きかたをして、どこから聞こえてくるのかわからない。砂丘に登って、あたりを見渡してみたが、動くものの姿はどこにもなかった。目に映るのは砂漠と…

墓地のそばの家の娘

ずっと以前、墓地のそばの家の窓に女が顔を出しているのをよく見かけた。妙に肌が黒い女で、いつも表情のない目つきでじっとどこかを見ていた。ある日の午後、僕は墓地へ行き、一番高いところから、望遠鏡でその家のほうを眺めた。女はやはり窓辺にいて、頬…

住んでいるところ 紹介

僕が今住んでいるのは、下関市の西部の町で、かつてはそれなりに多くの人々が暮らしていたのだが、数年前、正確には2015年の春のことだが、町の端の小さな山に<ある存在>が住みついたことが原因で、住人が次々と町を離れるようになり、そのため人口は当時…

アポリネール詩集

水たまりに落ちていた一冊の本。捨てられた動物みたいに、助けを求めている気がして、つい手に取ってしまった。それをずっと持って歩いていたので、帰宅するまで指先は濡れたままだった。本を物干し竿に吊るして干した。この暑さのことなので、明日には乾く…

古い波乗りの記録

海辺の寂れたレストランでハンバーガーを食べた後、椅子に座って海を眺めながらぼうっとしていると、店主が寄って来て、話しかけてきた。「あんたはもしかして、フミオの家族じゃないか。その名前に聞き覚えはない。僕は否定した。店主は微笑み、悪いね、と…

呪われた僕の子供に

母体を脱してすぐ、ほとんど泣くこともなく目を見開き、あちこち視線をさまよわせていた。それは人が何かを思い出そうとするときの目つきに似ていた。彼は覚えているのかもしれない、かつて自分がいた場所のこと、生まれる以前に自分が属していた世界のこと…