いつも静かな場所

入学式の朝

午前4時過ぎに目が覚めて、そのあと眠れなかったので寝室を出た。リヴィングでカーテンを開けて外を眺めると、外はもちろんまだ暗く、どの家の窓にも明かりは灯っていない。なぜか心細くなり、コーヒーを作って飲んだ。夜が明けて朝になるまではあと数時間、…

妻の考えと意見

ユイが小学生になったら、私も少し働こうかな、と妻が言った。聞くところによると妻の友人が運送会社の事務のパートをやっているのだが人手が足りなくなって妻は誘われたらしい。いいんじゃないかな、ケイの面倒は僕がみることだってできるからね。と僕は言…

突如襲う倦怠

とあるピアノ協奏曲を聴いているとき、突然その曲に飽きた。飽きただけでなくほとんど嫌悪感を覚えた。どうしてこんなつまらないものをありがたがって聴いていたのだろう、と思った。あと数分で終わるところだったので、再生を止めることはしなかったけれど…

ナナタンの涙

それはまたしても意図せざる遭遇だった。一人で車に乗っていたとき、信号待ちのときにいきなり誰かが後部座席のドアを開けて車に乗り込んできたのだった。僕は最初何が起こったのかわからず一瞬呼吸が止まったようになり、おそるおそる振り向くと、そこにナ…

Cyrodiilに帰る

今日は久しぶりにCyrodiilに帰りました。そうだ、『The Elder Scrolls IV: Oblivion』を遊ぶことは、まさしくCyrodiilに帰るという感じなのです。『Oblivion』に没頭していた時期、僕は実際にその世界を生きていたように思いますた。Cyrodiilの空気を呼吸し…

変な硬貨

子供のころ、デパートの屋上で見知らぬ大人から硬貨をもらったことがあります。それは見たことのない硬貨でした。直径2センチ、十円玉と同じほどの厚みと大きさで大きさの割に妙な重みがある。色は眩い輝くような銀色をしており、ぱっと見はとても綺麗でした…

ゲームセンターにて

僕は子供たちとゲーム・センターにいた。妻は一人で洋服屋で服を選んでいて、その間僕は子供たちをフロアの端にある狭いゲームセンターに連れてきたのだった。子供たちはクレーンゲームで遊んでいた。ひどく欲しいキャラクターのぬいぐるみがあるらしく、二…

ある夢(燃える男)

夢をみた。男が道端で火に包まれて燃えていた。燃えながら男は踊るような動きをしていた。もちろん本当は踊っているのではなく、熱さと苦痛のために身をよじらせているのだ。通りかかる人々はどういうわけかその男に関わろうとしない。助けようともせず、救…

ある休日・2

日曜日は曇っていて、風が強かった。そういう天候は変に気分を躍らせる。僕は朝食と掃除と洗濯を終えると、午前中は集中して仕事を行った。午後、ブログを書こうと思ってブログの管理画面を開いたところ、通知が届いていて、クリックするとあるブログ記事に…

ある休日

子供たちの学校や幼稚園が長期の休みに入ると、妻はときどき子供たちを連れて実家に帰る。それで3月のある日、いつものように妻と子供はそうやって宇部の実家へ帰り、僕は一人で家に取り残された。家族が不在のその2日間を僕は休日にした。自分一人だけで過…

雪の散歩道に消えた彼

Burzum『Tomhet』に寄せる 私たちは森の散歩道を歩いていた。あたりには雪が深く降り積もり、吹き付ける風は冷たい。遊歩道は森を貫いて私たちの眼前に真っ直ぐに伸びて湖まで続いている。さっきから彼の態度がどことなくよそよそしい。そのことを指摘すると…

地平の果て

春休みの最初の週末、家族で鳥取の砂丘に旅行に出かけた。視界にめいっぱいに広がる地平線はなだらかな曲線を描き、濃いインクみたいに青い空との境目は、目がおかしくなるほどくっきりしている。あそこまで行こうよ!と息子のケイが地平線を指さして叫んだ。…

目が覚めたとき彼女がいなかった

目を覚ましたとき、ナナタンはいなかった。朝の6時過ぎだった。僕はベッドで横になったまま、しばらくぼんやりしていた。遠くで電車の車輪と線路が擦れる音がして、それを聞いたとき、なぜかわけもなく胸が高鳴るのを感じ、ベッドから降りて、室内を探し回っ…

最初で最後の交合

日差しが明るく地表を照らす、よく晴れた日曜日の午後に彼らは交わった。女は彼の上で傘が開いたり閉じたりするみたいな動きで揺れていた。病気のために衰弱した女の肉体は紙のように軽く、窓から差し込む日差しが逆光になって、表情は終始判然としなかった…

彼女の呪い

真夜中過ぎに女が言った。「あなたになら殺されてもいいような気がするわ」「そう」と男は答えた。女は彼女は病気で、さっきまではひどく呼吸を乱して苦しんでいたのに、今では別人のように安静になっていた。ベッドにうつぶせになり、肘をついて状態だけ起…

病気になったナナタン

ある日ナナタンが待ち合わせ場所に現れなかった。もっとも彼女は普段からあまり時間を守らないし、最大2時間半まで遅れたことがある。メッセージを送っても返信がないので、電話を掛けるとナナタンは出たが、声がひどくかすれていた。何かあったのかと聞くと…

ノイズキャンセリングで聴く武満

ノイズキャンセリング・ヘッドフォンをつけて横になり、音楽を再生する。武満徹の『アーク』。僕はうまく寝つけないときによく武満徹の音楽を聴く。かつて睡眠障害のようになって、夜なかなか寝付けずに困っていた時期があったのだが、そんなとき、『ノヴェ…

眠れない夜

夜うまく寝付けなかった。眠気がないわけではないのに、いつまで経っても眠りは訪れず、ただベッドの上で転がるばかリ。気持ちよさそうに眠っている妻や子供たちを見て、うらやましくてほとんど怒りさえ覚えた。午前3時過ぎに、ついに僕は眠ることをあきらめ…

高速バス

あるとき、僕は高速バスに乗っていた。車内は寝静まり、起きているのは運転手だけ。運転手は黙々とバスを走らせている。僕の座席からは彼の左腕しか見えない。ハンドルを握るその腕はときどき規則的に動いた。じっと見つめているとそれは生きている人間の腕…

雪の日の雪だるま

下関市では冬の間に一度か二度、雪が積もることがある。ある雪の日の午後、僕は二人の子供たちを連れて近所にある公園に出かけた。彼らが雪だるまを作りはじめ、僕もそれを手伝った。手袋をしていても雪に触るのは冷たかったが、子供たちのほうはどういうわ…

夜中に食べながら村上春樹を読むこと

夜中、空腹のために眠れず、戸棚をあさっているとポテトチップスを見つけたので、本棚から『ダンス・ダンスダンス』を取り出して、それを読みながら食べた。ところでよく言われることだが、村上の小説は食事に合う(言われてないかもしれない)。夜中に何か…

結婚記念日

レストランは混んでいた。素敵なお店ね、と妻が言って、それで僕はその店について説明した。シェフが大学時代の知り合いで、彼は東京の調理師専門学校に通ったあと、レストランでの修業を経て、下関に店を開き、僕は以前から彼に、店に行くことを約束してい…

嬉しくないプレゼント

目を覚ますと枕元に赤い包装紙で包まれた大きな箱。開封すると中から人形が出てきた。男でも女でもない、子供でも大人でもない、歪んだ顔つきといびつな体型をした、およそ人間離れした異常な人物をモデルにしたような、体長30センチほどの人形がそこにあっ…

ネズミ女殺害

広場の片隅で、女がギターをかき鳴らしながら歌っていた。女はいかにも自分の歌声陶酔し満足しきっている人の歌い方をしていた。歌いながら目を閉じたり唇を震わせたりしていたし、リズムをわざとずらしたり、ハイ・トーンのときにわざとらしく声をかすれさ…

ネズミ女の名前

ある休日の午後、デパートの前の広場で小規模なコンサートが催されていた。僕らは買い物帰りに広場の前を通りかかり、息子と娘が興味を示したので、足を止めて観客の中に加わった。そのときステージ上では4人組のバンドが演奏していた。それはディープ・パー…

赤いエナメルのブーツ

赤いエナメルのブーツは玄関先で死んだ小動物みたいにぐたっとしていた。それはくまなく血に濡れたみたいに真っ赤だった。指先で撫でてみたが、赤いどろっとした液体が指に付着することもなく、表面はつるつるとして乾いていた。妻は長らくこのブーツを履い…

家にて

昨日の夜は、あなたはどこにいたのかな?、と朝起きてダイニングに顔を出したとき、妻が言った。昨夜、僕はナナタンのマンションから深夜に帰宅し、そのときすでに妻も子供も眠っていたので、昨夜は妻と顔を合わせる機会がなかったのだった。女の部屋だよ、…

白い部屋での一夜

部屋には香水と化粧品と何か花に似た香りが混じりあっている。家具も何もかもすべて漂白されたみたいに真っ白で、いつ来てもかまくらの中にいる気分になる。でも僕はかまくらになど入ったことはない。そんな部屋でその夜、僕はナナタンの手料理をごちそうに…

ヴェーベルンのコンサート

ある日新聞紙の片隅に掲載されたコンサート情報が僕の目を引いた。そのコンサートで演奏される予定の曲目は、すべてアントン・ヴェーベルンの作品だった。そして僕は長らくアントン・ヴェーベルンの音楽を愛好していたのである。ピアノ曲や歌曲、そしてあの…

大リザード殺し

砂浜を歩いていると大リザードがいた。それはちょっとしたウミガメ程度の大きさの、むくむくと肥ったトカゲである。大リザードは砂の上をのそのそと這って、こちらに近寄ってきたので、すかさず僕はポケットから大きなナイフを取り出し、その生き物の脳天に…