2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

地下水族館の悲劇

都会のはずれ、うらぶれた建物が多く立ち並ぶ地域の片隅に地下水族館はあった。がらんとした一室に小さな水槽がいくつか並べられているだけの小規模な水族館だった。展示されているのはもちろん普通の生き物ではなく、グロテスクで不気味で奇妙な、ほとんど…

首なしケルベロス

大雨の午後、黒塗りのベンツが屋敷の前に停まる。黒いスーツに身を包んだ男が車から降りて、門の前に立った。体格はがっちりしていて頬の皮膚が薄く、眼光は鋭い。どんなに残酷なことも眉一つ動かさずやりそうな印象がある。人に好かれるはずもないタイプだ…

森のガソリンスタンド

森のガソリンスタンドでバイクを給油した。利用客も従業員の姿もなく、計量器はひどく錆びていた。給油を終えたあと、僕はデジタル・カメラであたりの景色を写真に撮った。とはいってもそこにはわざわざ写真に収めるほどのものはない。森を貫く直線道路、道…

素敵な理想キッチン

ある夜僕はキッチンで眠った。寝床を窓から遠ざける必要があって、適当な場所がキッチンだった。なぜ窓から遠ざかりたかったかというと、向かいの家の騒音が窓越しに夜通し聞こえてくるからだ。どういうわけかその家では一晩中テレビがつけっぱなしになって…

夜のプール

夜が思いのほか明るいのは満月のせいだ。月光を浴びて銀色にきらめく夜のプールは、どこか生き物のように見える。四角い枠に閉じ込もって息をひそめるようかんみたいな巨大な生き物。僕は飛び込み台の上からそのさまを眺めていた。風はなく、冬にしては暖か…

ある夜の寝室にて

怒ってる? え? 怒ってないの? どうして私が怒るの。 怒ってるんだろうなって気がしたから。 そんな顔してた? そういうわけじゃないけど。 べつに怒ってないわ。 でも、いちおう謝っておこうかと思って。 謝るって、何を。 君を怒らせてしまったことにつ…

日記

午後4時過ぎ、パソコンを起動する気分になれずに、カーテンを開け放って窓に土曜日の午後の夕方の空を映し出して、それを眺めながら、ほかに何もせずにただコーヒーを飲んだ。音楽も聞かず本も読まない。でも本は読んだ。片岡義男の本にあった、紅茶の話が読…

隔絶されて

街は8つの灰色の山々に囲まれている。高く険しいそれらの山々を越えてここまでやってくる人はまずいない。それだけの価値はここにはない。何の変哲もない面白みのない街なのだ。建物はいずれも同じような形をしていずれも同じようにくすんでうらぶれており、…

闇を食べる動物

老人はかつて飼育していたというある動物について語った。その動物は特異な食性を示した。好んで暗闇を食べ、それ以外のものは口にしなかったのだという。そんな動物を飼育するのにこの街より適した場所はなかった、と老人は言った。 「昔はこの街には闇なら…

懐かしい道

ある路地に入り込んだとたんに、だしぬけに懐かしい気分に襲われた。そこにあるすべてのものに見覚えがあった。それは僕がよく知っている道だった。ずっと以前のある時期、僕はこの道を頻繁に往復する機会を持っていた。何年も前、おそらく10年以上も昔のこ…

4分の1太陽

その部屋の天井近くに据え付けられた扇形の窓は一日に15分だけ日差しを受け止める。あふれるほど光が差し込み、ゼリーのようにあらゆる隙間へ染み入って、室内を暖かい黄金色で満たすのだった。光でふさがれた扇形の窓はまるで4分の1に切り取られた太陽のよ…

あるスパゲティの誘惑

土曜日の正午、静かで清潔なキッチンに一人で立ち、スパゲッティをつくりはじめる。それは僕が最も愛する時間なのだった。いや、もっとも大切にしたいと考えている時間だった。土曜日の昼食のひとときだけは、誰にも邪魔されずに心穏やかに過ごしたい。僕は…

眠る人と幽霊

眠れないときには幽霊が来る。首元がスースーするから、来てることがわかる。振り返りたくなるけど、でも振り返ったところで、何もいないし何も見えないのはわかっているから、動かずじっとしている。夏だと涼しくてよく眠れる。でも冬だと毛布を首元まで引…

僕はキッチンに行って流しの水で手を洗い、顔まで洗った。それからコーヒーメーカーをセットした。隣の居間では祖母が一人でテレビを見ながらお茶を飲んでいる。あれからどうなったんかね、ちゃんと直ったんかね、祖母がCMの間に話し掛けてきた。うん、もう…

同窓会の夜

僕らはとりとめもない話をした。仕事の話、家族の話、最近読んだ本や観た映画の話。でもやっぱり昔話が一番盛り上がる。故郷の街は、今ではずいぶん変貌を遂げているけれども、僕らは昔の、つまり僕らが子供時代を過ごした当時の街並みについて、語り合いな…

電気虫がはびこる島

ある島で異常な虫が発見された。薄い透明な羽の全体が青白くネオンのように強い光を放つ小さな虫だった。蛍に似ていたが蛍ではなく、その光は蛍よりずっと強かった。虫が飛ぶと暗闇に青白い光がゆらゆらと残像を描き、大勢集まって群れをなすとその周辺は仄…

祖父を訪ねる

受付で用件を告げる、のだが、どこかくぐもったような妙な声になってしまい、しかも抑揚もおかしかったので、受付の女性は怪訝そうな、不審そうな目つきで僕を見た。こういうことはよくある。ろくに声を出さない生活をしているからこういうことになる。だか…

Yの幻

雪が降る土曜日の昼下がりにYの幻は現れた。そのとき僕は冷えきった部屋で一人でギターを弾いていた。つまり暖房をつけることを思いつかないほど夢中になっていたのだ。ふと顔を上げると幻はすでにそこにいて、僕の1メートルほど向こうに立ってギターを弾い…

知らない婦人

今住んでいる古い一軒家に引っ越してきたばかりのある夏のこと。部屋で本を読んでいるとドアをノックする音が聞こえた。僕は一人で暮らしていたので、ノックする人などいるはずはない。僕が考えを巡らせている間にドアが開き、女が部屋に入ってきた。それが…

お正月の淋しさ

布団に入って本を読んでいたときから、その気分はすでに僕の中にあった。その気分のためになかなか明かりを消すことができずにいた。部屋を暗くすることに抵抗を覚えていた。両親はすでに眠っている。家には物音一つしない。かつて僕が使っていた二階の部屋…

寂しい風景

寂しい風景を見つけると、必ず彼はそれを絵に描いた。そうやって描くことで彼は気に入った風景を個人的に収集していた。これまでに描いた絵はすでに相当な枚数に達している。彼が住む場所として選ぶのはいつも、寂しい、荒れ果てた、見捨てられた土地ばかり…

家政婦の変容

晩秋の日暮れ時、僕は一人で墓地にいた。血が滲んだ包帯を思わせる雲が赤い光を滴らせながら空いっぱいに薄く広がっている。緩やかな傾斜に沿って立ち並ぶ墓石の群れは夕陽に照らされて鏡のようにてかてかと光っていた。人の姿はなく、静かだった。風の音の…