本に挟まっていた古い(夏の)レシート

 ページをめくったとき、紙切れが足元に落ちた。拾いあげてみると古いレシートだった。『2007年8月31日14時29分』と日付が印字されている。確かに僕は14年前のその日、そのカフェでアイスコーヒーを飲んだ。その日のことを僕はすぐに思い出した。記憶は不思議なほど鮮明で、戸惑うほどだった。よく晴れた暑い日曜日で、午後の街はずいぶんにぎわっていた。当時、僕は昼間に寝て夕方に起きる生活をしていたのだが、その日はなぜかうまく眠れず、その時間に街をうろついていたのだった。僕は本屋に行った帰りにカフェに入ってアイスコーヒーを注文し、それを飲みながら買ったばかりの本を読んだ。レシートが残っていたのはただの偶然だと思われる。店を出るとき、トレイの隅に置かれていたレシートを目にして、しおり代わりに本に挟んだのだろう。ごく自然で何気ない、半ば無意識の行為だったはずだ。そしてそれ以来ずっとこのレシートは本に挟まれたままだったというわけだ。僕はこの本をずいぶん楽しく読んだはずだったが、なぜかこれまで一度も読み返していなかった。
 僕は14年前に身のまわりで起きたいろんなことを思い出していた。そのほとんどは取るに足りない、語る価値もないような出来事ばかりだった。しかし記憶の奔流は止まらず、僕はソファに腰かけたまま、しばらくそれに溺れかけていた。僕は一枚のレシートによって2007年の夏に回帰していた。レシートなんて普通ならもらったそばから捨ててしまう。そもそも受け取らないことだってある。しかしそのぺらぺらした印字の消えかけた紙切れは、タイムマシンみたいに僕を過去へと連れ戻したのだった。

 日付が8月31日だったことが、ことさらに僕を感傷的にしたのだと思う。それは一般に夏休みの終わりの日であり、すなわち夏の終わりを象徴する日付だった。さなかにいるときは暑くてうっとうしく早く過ぎてほしいと願うのに、実際に過ぎてしまうと寂しく、後悔と名残惜しさに襲われる。もっと十分に季節らしさを味わっておけばよかったと感じる。それが僕にとっての夏であり8月だった。古いレシートが運んできた感傷は、遠い昔に過ぎ去った夏への感傷とも重なっていた。
 本をお腹の上に置いて目を閉じ、眠るでもなくぼんやりしていると、ひじ掛けに置いたままその存在を忘れ去っていたグラスを、誤って倒してしまった。飲み物がこぼれて飛び散り、服と本がびしょびしょになった。
 レシートも濡れてしまっていた。乾かしたあと、印字は前よりもっと薄くなったみたいに感じられた。日付はもうろくに読み取れなかった。