確かに誰かがその時間に廊下を歩いていた

以前に住んでいたアパートでは夜中によく外の廊下から足音が聞こえた。安普請だったから、夜中に物音が響くことは珍しいことではなかったのだが、その足音はどこか変だった。それはどこかへ向かおうという意思を感じさせない足音だった。誰かが、まるで靴の具合を確かめるみたいに、恐る恐る歩いている感じがする音だった。たとえば新聞配達員の足音はそんな風ではない。そして音はだんだんこちらに近づいてきて、また遠ざかってゆく。それが何度も繰り返される。まるで誰かが廊下を何度も往復しているみたいに。そしてその何者かは間違いなく、僕の部屋がある階の廊下を歩いていたはずだ。音はそれほど近くから聞こえた。音はたいてい午前3時ごろにはじまり、午前4時過ぎには消える。一日のうち、音が聞こえるのはその時間帯だけだった。
僕は当時なぜか一度も、音の正体を確かめようという気を起こさなかった。そのことが今となっては心残りなのである。