好きな本がなくなっていた

大好きな『シャーロック・ホームズの冒険』を読み返したくなり、本棚を探したのだが、なかった。部屋中を探してもなかった。それはずっと昔に古本屋で買って何度も繰り返して読んだ大好きな本である。だから失くすなんて考えられない。それならどこにやったのか、いろいろ考えた結果、おそらくずっと以前に、自分の意志で捨ててしまったのだ、という結論に至った。

少し前に、僕はひどい絶望的な気分に陥って、いろんなものを手当たり次第に廃棄したことがある。そのときに『シャーロック・ホームズの冒険』も捨ててしまったのだ。覚えてないけど多分そうなのだろう。そうとしか考えられない。何しろあの本は古くてボロボロだったし、僕は古いものや摩耗したものを、特に優先して捨てたかったはずだから。

本屋に行って買いなおそうかと考えたが、それでは意味がない。そういう問題ではないのだ。遠い昔、確か中学生のころに、今はもうない古本屋で買った、あのボロボロの『シャーロック・ホームズの冒険』の文庫本こそが、僕にとって大事なのだった。あれはこの世に一冊しかない書物だった。でももう失われてしまった。

今、本棚にはけっこうな数の本が収まっている。でも『シャーロック・ホームズの冒険』に比べれば、どれもどうでもいい本に思えた。いや、思えたではなくて、実際にそうなのだ。本当にどうでもいいのだ。だって一度しか読まなかったり、読んでも何の思い入れもないような、本ばかりなのだから。どうしてそんなものを大事に持っているのだろう、と思った。それで僕はごくわずかな好きな書物だけを残し、残りは全部捨てた。後悔も悲しみもなかった。なんだかすがすがしい気分ですらあった。