入り江の霧の朝 (Morning Mist Bay)

朝早く、海に浮かぶボートの上で一人の男が釣りをしていた。水平線の彼方から差し込む朝日が、入り江に少しずつ色を加えていった。糸が引っ張られ、男はすかさずリールを回す。釣られた魚はしぶきを飛び散らせながら、みずみずしい銀と青のうろこをきらめかせた。男は魚の口から針を引き抜いてクーラーボックスに収める。すでに4匹目、じゅうぶんだと判断した男は釣りを終え、ボートを岸へ向かわせた。

途中、ボートが一度大きく揺れた。船底が何かに乗り上げたのかと思って、男は身を乗り出して海を覗き込む。しかし何も見当たらない。だいたいこの入り江に船が乗り上げるような障害物などないことは、男はよく知っている。
その揺れは、のちにこの入り江を襲うことになる地震の最初の徴候だった。それより数十秒前に、はるか遠くの海底で亀裂が生じ、その振動が入り江にまで伝わって、一度だけその海面に不吉な波を生じさせたのだ。それが男のボートを揺らした。それが予兆だったことを男が知るのは、まだずっと先のことである。

男は再びボートを漕ぎだす。彼はご機嫌そうに口笛を吹く。よく通る澄んだ音色が、朝の大気の中に響き渡っている。