光る心臓

ちょっとしたいざこざから刃物で胸を傷つけられて、傷口から心臓がむき出しになった。初めて自分の心臓を自分の目で見て知ったのだが、心臓は光っていた。白っぽい光をまばゆいほどに放っていた。おかげで眩しくて眠ることもできない。でもそれは力強く美しい光であり、自分の肉体に、そのような器官が備わっていることは、そんなに嫌でもなかった。

彼女は血まみれ

夜の路上で血まみれで倒れている女を見つけた。女は笑っていた、大きな口を開けて、不自然なほど愉快そうに、楽しそうに。女はよく見ると、知っている人に似ている気がして、僕はつい足を止めて見てしまう。信じられないほどたくさんの血が彼女の身体を覆っている。それなのに女は平気そうにしている。ということはあれは彼女の血ではないのだろうか、別の人間の血を、たまたま浴びてしまっただけなのだろうか。ということはすぐ近くに別に傷ついた人がいるかもしれない。そんなことを考えていると、遠くから救急車のサイレンが近づいてきて、すぐ背後で止まった。救急隊員が大勢現れて女のもとにかけよった。依然として大笑いを続けている女を担ぎ上げ、担架に乗せて運ぶ途中、救急隊員の一人が、必要以上に彼女の身体を触りすぎている気がして、僕はそのことが何となく気になったが、女のほうは特に何でもなさそうにしていたので、そういうものなのだろう、と思うことにした。あっという間に彼女は運ばれてゆき、あたりには誰もいなくなって、路上には大量の血だけが残った。

夜のメタル・ドルフィン

ビルの陰からいきなり現れた大きな紫色の物体、それはイルカだった、都市の真ん中で出くわしたイルカは、どこかテカテカした金属めいた光沢をたたえていて、本当に鉄でできていたのかもしれないけれども、そうだとしても驚かない、なぜなら都会というのは、どんなことでも起こりうるし、どんな信じられないものでも、目の当たりにする可能性がある場所だから。私は傘をさしたまま、その場に立ちつくし、空中を泳ぐイルカの姿を目で追っていた。ネオンと街灯と車のライトを浴びて、金属イルカの皮膚はほとんど虹色に輝いていた。生き物は躰を揺らしながら、大通りに並んでいるたくさんの車の上を、するすると、何かに引っ張られるように滑って行った。その姿はだんだん遠ざかり、やがて星も月もない夜空に吸い込まれて見えなくなってしまった。
突然傘をたたく雨の音が耳元で聞こえてきて、またそれ以外のいろんな音、車のクラクションやエンジン音、人々の笑い声や話し声もまた、耳に戻ってきた。あのメタル・ドルフィンを眺めていた数十秒間、あらゆる音がどこかにひっこんでいたのだった。騒がしい夜の都会の中を、再び歩き出しながら、私はさっきまで自分の身に起こっていた、あの束の間の静寂について思った。

切り落とされた左手

激しい雨の中、僕はバス停の屋根の下でベンチに腰掛けていたが、あとからやってきたその男は、座らずに立っていた。しばらくして、すぐそばからゴリゴリという音が聞こえてきた。顔を上げると男が、右手に持ったのこぎりのような道具を自らの左手の手首にあてがい、前後に動かしていた。血があたりにほとばしり、上着の袖が血で赤く濡れている。ゴリゴリという音は、刃と骨が接する音だった。
僕は思わず目を背けた。男は何事もないように平然としている。痛みのために苦悶の表情を浮かべたり、声をあげたりするでもなく、まるで日曜大工でもしているみたいな表情で、淡々とそれを行っていた。
しばらくして、男の左手はすっかり切り離された。切り落とされた左手がアスファルトの地面に触れて、ゴトンという意外なほど重々しい音を立てた。そのあと左手は血と雨に濡れながら死んだ生き物のようにそこに静止した。
男は身をかがめ、残っている右手でそれを拾い上げた。そしてまるでよくできた工芸品でも鑑賞するかのように、いろんな角度からそれを眺めまわしていた。男の左腕の切断面からは、今もなおも血がシャワーのように流れ続けていたが、男はそんなことには気づきもしないかのようだった。
流れる血は、やむことのない雨と混ざりあいながら、いつまでもバス停の地面を浸していた。
到着予定時刻をだいぶ過ぎているのに、バスはまだやってこない。……

人類が死滅した夏休み

ずっと何年も地下に閉じこもって生活していたから、久しぶりに外に出たとき、眩しくて眩暈がした。空は青く晴れ渡り、太陽はぎらぎらと輝き、日陰の色は異様に濃く、まぎれもない夏だった。
僕は眩暈と頭痛に耐えながら、身体を引きずるようにして、近くの道路を歩きだした。人の姿はまったくない。やけに強い風が吹いていて、ときどき身体がよろめくほどだった。少し歩くと坂道があった。その坂を上りきったところに小さな公園があることを、僕は覚えていた。坂をのぼりはじめたとき、僕は先ほどから自分がずっと手に何か大きくて軽くてぶよぶよしたものを抱えていることに気づいた。坂をのぼりきり、公園に着いたとき、その場所は記憶にあるよりずっと狭く小さく、そしてやはり人はどこにもいなかった。片隅の木陰の下に小さなベンチがあって、僕はそこに腰掛け、手に持っていたぶよぶよした物体を傍らに置いた。そのときはじめてそれがクッションであることを知った。公園の柵越しに街並みが見える。動くものは雲のほかには何もなかった。町は時間が止まったみたいに静止していた。なんだか世界が滅びてしまった後みたいだ。僕が地下に閉じこもっている間に、何らかの原因によって人類は死滅し、僕だけが何も知らずについ一人だけ生き残ってしまったのだろう。さきほどから吹き続けている強風は、どこか原始時代めいた匂いがする。しかしその澄みきったクリアな風の感触は僕にとってむしろ不愉快だった。クッションに頭を預けてベンチに横になった。するとさっきからの頭痛が、かつてないほど耐え難いものになり、僕は目を閉じて、眠りが訪れるのを待った。