雪の散歩道に消えた彼

Burzum『Tomhet』に寄せる

 

私たちは森の散歩道を歩いていた。あたりには雪が深く降り積もり、吹き付ける風は冷たい。遊歩道は森を貫いて私たちの眼前に真っ直ぐに伸びて湖まで続いている。
さっきから彼の態度がどことなくよそよそしい。そのことを指摘すると、彼は、寒いせいだよ、寒いのは苦手なんだ、と言った。それならこんな大雪の日に無理して出かけなくてもよかったのに、と私は思った。でも森の散歩道を歩くことは、私たちの毎朝の習慣で、彼は習慣を破ることを嫌う。森を抜けて湖まで行ってから戻ってくるのがいつものルートだった。それでも、雪を踏みしめながら散歩道を歩くのはどこかわびしくて寂しく、悪い気分ではなかった。
前を歩く彼の背中が左右にゆらゆらと揺れている。まるでゆるやかなリズムを刻んでいるみたいだった。それは彼の歩くときの癖だった。私も真似して歩いてみると、なぜか少しだけ身体が温まるような気がして、不思議だった。そのことを言おうとしたとき、彼が突然素早く顔を横に向けた。私はその視線の先を追ってみたが、そこには雪に覆われた草と木々があるばかりだった。変わったものは何もない。
どうしたの、と尋ねると、今何か音がしたね、と彼は答えた。
どんな音?
人の足音みたいな音だよ。
何も聞こえなかったわ。
勢いよく駆けていくような音だったよ。本当に聞こえなかった?
いいえ、と私は答える。
誰かいたんじゃないかな。
いたっていいじゃない。別に。散歩道なんだし。
そうなんだけどね。
どうしてそんなに気にするの
だってあんなにすぐ近くで足音がしたんだよ。それなのに、誰もいないから
聞き間違いじゃないの。私には聞こえなかったもの
彼は何も言わず、また歩き出した。

森を抜けて湖のほとりに着くころには、雪と風は激しさを増していた。視界は白く覆われ、まともに目も開けられない。
小さな東屋があって、それは一応屋根はあるけれど壁はなく、柵で囲われているだけだったけれども、その内側にいると、外にいるよりはだいぶましだったので、しばらくそこにとどまることにした。
私たちはお互いにしがみつくようにしてベンチに座ってじっとしていた。風の音の隙間に、突堤につながれたボートが揺れるキイキイという音が聞こえた。私は彼の肩にもたれて目を閉じていた。すると彼が突然びくっと動く気配がしたので、顔を上げると、彼は首を伸ばして東屋の外を見ていた。それはいかにも真剣な目つきだった。
どうしたの、と問うと、また聞こえた、と彼は答えた。
何が?
さっきの音だよ。足音みたいな音。今度は声も聞こえたよ。
外は相変わらず雪が降っていたが、人の姿は見えない。私も耳を澄ませてみたが、彼が言うような音は聞こえない。
ちょっと待ってて、行ってみるから、と彼は言い残して小屋を出て行った。彼が森のほうへ向かって駆けていく後ろ姿を、私は無言で見送った。

それから一時間近く経っても彼は戻ってこなかった。雪はさらに激しくなっていた。とても寒い。私は東屋を出て、あちこち森の散歩道に戻り、あちこち歩き回りながら何度か彼の名前を大声で呼んだ。でも返事はなかった。そうしてしばらく捜しまわった後、自分でも意外なほどあっさりと、私はあきらめてしまった。こんな風に捜したところでどうせ見つからないだろう、と思った。そして一人で歩いて家に帰った。
家にも彼は戻っていなかった。私は熱いシャワーを浴び、それから、キッチンでココアを作って、ひとりで飲んだ。窓の外は吹雪だった。彼はもしかしたらまだ、今も寒さに震えながら、森の中のどこかで、助けを求めているかもしれない。それなのに私はさっさと捜索を切り上げて一人で帰ってきた。それは雪と寒さだけが理由ではなかった。つまり私は彼がいないことを、その不在を、特に残念だとも、悲しいとも思っていなかったのだ。雪の散歩道に消えて、それきり戻ってこないのなら、それはそれで別に構わないと思っていたのだ。そのことに思い当たって、私は自分を非情な、ひどい女だと思った。でも仕方ない。たぶん私の気持ちはたぶんずいぶん前から、彼のもとを離れていた。私と彼とをつないでいた糸のようなものは、擦り切れて今にも切れそうな状態にあった。それが今日、ついさっき切れてしまった。それはあのとき、彼が森の散歩道で足音を聞いたと言ったあの瞬間に、起こったのではないかという気がする。
そう、ありもしない足音を聞き、それを追いかけてどこかへ行ってしまった人など、どうすることもできない。
家に一人でいて、私は孤独だった。でも気分は落ち着いていた。