パウル・クレーのある部屋

帰宅して一通りやるべきことを終えると、カイトは壁に掛けた絵を眺める。それはパウル・クレーの絵画、かつて彼が自分で模写したもの。彼は毎日その絵を眺めながら頭の中で想像で別の絵を描いた。そのことは彼の一日の楽しみだった。毎日異なるアイデアが浮かび、異なる絵が出来上がる。何しろカイトは一時期画家を志していたことがあるのだ。

今日もカイトは想像の中で一枚の絵を完成させた。そして絵の前を離れようとしたとき、絵の中の赤い絵具で塗られた直径5センチほどの丸い部分が、わずかにカンバスから盛り上がっているのに気づいた。見ているうちにその部分はますます隆起を増してゆき、やがて完全に絵から飛び出した。緩やかな赤い曲線が絵から放たれ、アーチを描きながら反対側の壁にまで届いた。そして他の色でも同じことが起こった。青や銀や黒やピンクや、さまざまな色が噴水のように絵から飛び出し、線が縦横無尽に空間の内部で交差した。いくつかの色はカイトの身体にもぶつかった。色たちはあらゆる方向からすごい速度で飛んできたので、避けきることなどできなかったのだ。全身にさまざまな色を浴びた彼の姿は、さながら身体中に極端に派手なペイントを施した道化のようになった。

色の放出が終わったとき、部屋は隙間もないほど線と色彩に満ちていた。カイトは室内を眺めまわし、その様子に満足した。

その夜、彼は自らの身体に付着した色を洗い落とすこともせず、色であふれかえった部屋の中で、やはり色まみれになったカラフルな布団にくるまり、そのまま眠った。