赤いエナメルのブーツ

赤いエナメルのブーツは玄関先で死んだ小動物みたいにぐたっとしていた。それはくまなく血に濡れたみたいに真っ赤だった。指先で撫でてみたが、赤いどろっとした液体が指に付着することもなく、表面はつるつるとして乾いていた。妻は長らくこのブーツを履いていないはずだった。どうしてこのブーツが靴箱の外に出ているのだろう。久しぶりに履いてみる気にでもなったのだろうかあの女は。しかしそうしたことはもちろん僕のあずかり知るところではない。
今、この家のどこにも妻の姿はない。僕はひとりで洗面所にいた。そして浴室の擦りガラスを外側から長い間見つめていた。僕はある想像にとらわれていた。あふれるほど血のたまった浴槽の中に首を切られた妻の死骸が半ば沈んでいる光景………それは想像のはずだったが、奇妙に生々しく実感を伴っていて、ただの想像に思えなかった。まるで現実の記憶みたいだった。それもまだ新しいごく最近の記憶である。浴室の天井や壁にほとばしった血の模様や、死んだ妻の目をいっぱいに見開いた顔を、ありありと思い描くことができた。血の匂いが鼻腔によみがえる気さえした。
でも妻がそんな目にあうはずはない。彼女はまだ生きている。ただ今は家にいないだけだ。
それならなぜ僕は浴室を覗いてみる気になれないのだろう。そしてこの胸騒ぎはどうしたことだろう。まさか僕が彼女を殺したのだろうか、殺して、その記憶を今まで綺麗に忘れ去っていたとでもいうのか?…いや、そんなことはあるはずがない。僕はおそらく映画か何かで見た、女が血まみれの浴槽で死ぬシーンを思い出しただけなのだ。そうしたシーンは巷にそれこそあふれかえっているから、誰でも一度は見たことがある。さらにはあの赤いエナメルのブーツだ。さっきあのブーツを見たとき、僕はその色から血を連想した。それが想像に生々しさを加えたのだ。
だってもし僕が本当に妻の頸動脈を切断して殺したのだとしたら、どうしてだろう、見てごらん、家のどこにも血の跡などない。カーペットも床も綺麗なまま、僕の身体にも衣服にも、血など一滴もついていない。そんな派手な殺し方をして、返り血ひとつ浴びないなどということはありえない。家の中は何もかもいつも通りだった。違うのは妻の姿が見えないことだけだ。彼女はおそらくどこかに出かけている。彼女が僕に知らせずにどこかへ出かけることなど、不自然でもなければ珍しくもない。ありふれていると言ってもいい。それにしてもどこへ行ったのだろう。いつになったら帰ってくるのだろう?………気が付くと僕は歌を口ずさんでいた。どこかで耳にした不気味な童謡だった。同じメロディーを何度も繰り返しながら、僕はまだ浴室の擦りガラスを睨んでいる。どうしても扉を開けてみる気になれない。ガラスに付着しているあの無数の赤黒い点は、本当にただの水垢なのだろうか?…………