最後のピラフの件

日曜日の午後のことだった。自分で作ったピラフを食べる途中に突然食欲が完全に失せた。ひどくまずい、と思った。どうしようもなく、吐き気を催させるほどに不味いと思った。僕は手にしていたスプーンを叩きつけるように皿の上に落とし、テーブルに肘をついてしばし茫然とした。どうしてだろう?これまで何度も同じようにピラフを自分で作っては食べていたのだ。およそ3年間も毎週、僕は日曜日の昼食には必ずピラフを自分で作って食べることを習慣としていた。ピラフこそは僕の得意料理だったと言ってよい。皿の上に半分残った食べ物の残骸を見つめながら僕は唖然としてしまう。これまで自分がこの料理の何が好きで食べていたのかもうわからない。それはもはやただのバターをまとったごはんやらベーコンやら卵やらやらみじん切りにされたピーマンやら玉葱やらが混然一体となった得体の知れないグロテスクな塊に過ぎなかった。
食材も調理方法も何もかもが間違っている。何もかもが間違っているのだ。米の炊き方、卵のときかた、食材の切り方、全てが間違っている。しかしそれらはもちろんすべて僕が自ら行った行為の結果なのだ。その事実が僕を暗然たる思いにする。こんなものは料理とは呼べない。奇抜さだけが売りの三流芸術家が食べ物を使って制作した悪趣味な立体作品といったところだ。そんなもの評価する人がいるとしたら、同じように悪趣味で無能な取り巻きの三流批評家だけだ。僕には幸か不幸かそのような取り巻きはいない。でももしこのことが、つまりこんなまずいピラフを3年間も毎週自分で作って食べていたことが、たとえば友人たちに知れたら、何を言われるかわかったものではない。僕の友人たちは極めて現実的な人々なので、前衛芸術家の取り巻きのような評価基準はおそらく持ち合わせていないだろう。彼らは大笑いしながら侮蔑の言葉を浴びせ、死ぬまで僕を馬鹿にするだろう。そのことを想像して不愉快な気分になった。しかし芸術家ではないにしても批判は甘んじて受けなければならない。すべての責任はこんな料理を作ってしまった僕にある。
僕は立ちあがって皿を流しに運んだ。しかしいまだ根強くその料理に対する思い入れが残っていたために、僕はそれをあっさりとごみ箱に捨てることができず、お皿にラップをかけて冷蔵庫にしまい込んだのだった。3年もの間、毎週それを食べて過ごした日曜日の昼食のひとときを否定するのは、やはり辛いことだった。

再び椅子に座る。そしてひとつため息をつく。冷蔵庫に保存したところで、あのピラフを食べようという気を起こすことはおそらくもうないだろう。遅かれ早かれ僕はあれを捨てることになる。そして今日より以後、僕はもう決してピラフを作ることはない。僕はピラフを作らない人間としてこれから生きていくことになる。
僕は目を閉じて、これまでに失ってきた様々なものをひとつひとつ追憶しては悼んだ。そうやって午後の時間は過ぎていった。

3時過ぎにインターフォンが鳴った。ドアを開けると女が立っていた。彼女はこのあたりでは有名な食いしんぼうであり、あちこちの知り合いや友人の家を訪ねてはおいしいものを食べさせてもらうことを趣味としているのだ。部屋に上がるやいなや女は冷蔵庫を開けて中身を物色しはじめた。脂肪がたくさん付着した彼女の背中は後ろから見るとちょっとした雪山のようだった。僕はテーブルを片付けてソファに腰かけ、テレビのスイッチをつけてその画面を見るともなく見ていた。
このピラフ食べてもいい、と女が言った。僕はああ、と答える。それで彼女は電子レンジでピラフを温めるとテーブルについてすぐさま食べはじめた。僕は横目でその様子を眺めていた。スプーンでピラフをすくって口に含み、それを咀嚼し、飲み込まないうちに次の一口を口に運ぶ。女はその作業をすごい速さで繰り返していた。いったい何があったらこんなに腹を空かせられるのだろうと僕はいつものことながら不思議に思う。
スープとか飲み物はいらないの、と尋ねてみたところ、女は食べながらもごもごと答えて、その言葉は不明瞭だったがいちおう聞き取れたので、僕は台所に立って一人分の玉ねぎ入りのコンソメ・スープを作り、テーブルに置いた。女はありがとう、とやはりもごもごと言った。皿にはもうわずかにしかピラフは残っていなかった。
そんなにあわてて食べなくてもいいのだよ、と僕は言った。
でも、おいしいわ!これ。彼女は確かに感嘆符付きでそのように半ば叫んだのだった。それで僕の最後のピラフはすっかり彼女の腹の中におさまってしまった。コンソメ・スープを飲み干し、さらにデザートとして戸棚に置いてあったチョコレートをコーヒーとともに平らげると、女は満足そうにしていた。そのあと彼女はお礼にと言って食器を洗い、部屋を掃除してから帰っていった。