弾き語りの女(彼女はネズミを思い出させる)

地下道を通りかかったとき、ギターを弾き語る女を見かけた。女は右手で規則的に機械的にコードを鳴らしながら、歌声を響かせていた。僕は思わず足を止めてしまう。昔はよく見かけた、ああやって道端でアコースティック・ギターを抱えて歌う人。西暦2000年前後の頃の話だ。最近ではめったに見かけない。どうしていなくなってしまったんだろう?ところで僕は、あの手の音楽に耐えられなかった時期があった。当時、路上で歌う人たちの近くを通らないといけないときには、両手で耳をふさいで歩いた。

弾き語る女の顔はネズミに似ていた。目が細くて、顎が細く尖っている。歌は平凡で退屈なものだったし、その歌い方は、僕が嫌いな歌い方の要素をほとんどすべてを備えていた。馬鹿みたいにがなり立てる高音、過剰なヴィブラート、ときどき挟まれるわざとらしい吐息、それは自分の歌声を魅力的だと信じている人間の歌い方だった。それでも女の前には小さな人だかりができていた。僕は信じられない思いで彼らを眺める。こういう歌を好む人もいるのだ。僕は苛立ちを覚えつつその場を去った。

夜にもう一度地下道を通りかかったとき、ネズミの顔の女はまだ同じ場所で歌っていた。大したものだ、大した持久力だ、と僕は思った。彼女はおそらく昼からずっとそこにいて、同じ調子でずっと歌い続けていたのに違いない。でも人だかりはなくなっていた。通行人は目もくれずに彼女の前を通り過ぎる。
数時間ぶりに聞いても、やはり退屈な音楽だと思った。ああいうのは許せないな、(と僕は一人でつぶやいていた)あんなひどい歌を、ひどい歌声で歌う女は、いずれひどい目にあうよ。とにかく、ああいう歌い方は許せないんだよ。その独り言は、すれ違う人におそらく聞こえていた。

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帰り道、人けのない細い路地の真ん中に、黄色い果実が落ちていた。近くの家の庭の木から落ちたものらしい。僕はそれを拾い上げ、しばらく眺めまわしたあと、ポケットからナイフを取り出した。それはいつも携行しているサヴァイヴァル・ナイフ。その鋭い刃先を果実の皮にほんのちょっとだけあてて、そっと横に滑らせる。皮に一文字の切れ込みができた。僕はその線を点検し、それが紛れもなく完璧にまっすぐな直線であることを確かめる。そのあとで僕は果実を放り投げた。果実は放物線を描き、数メートル先のアスファルトにグシャと音を立てて落ちた。