音楽は高い場所へと連れて行く

ひどい気分だった。その辺にあるものを手当たり次第に壊したい気分だった。不穏な雰囲気が伝わるのか、周囲の人々は僕を避けて歩くようだった。
広場の前を通りかかったとき、騒々しい音が聞こえた。広場の片隅にいる人物が発する音であるようだった。どうせすぐ帰宅する気もなかったので何となくそちらに歩み寄った。痩せた髭を生やした男が音楽を演奏していた。彼は地面に胡坐をかいて座り、そのまわりにはいろんながらくたがぐるっと囲むように置かれている。そのがらくたが、彼の楽器だった。実にいろんながらくたがあった。ステンレスのお皿、機械の部品、何かの破片、水に浮かべたゴムボール、ペットボトルや缶、アルミの鍋、金属の器。男は両手に持ったスティックでそれらをまんべんなく叩いていろんな音を出していた。金属は火花の散るような細かなリズムを刻み、水に浮かべた黄色いゴムボールは、夜に遠くから響く鳥の声のような、深い神秘的な音を立てた。男は両腕を目にも止まらない速さでしなやかに、柔らかく動かして演奏し、そのさまはどこか、タコとかクラゲといった海の生物を思わせた。

なぜかギャラリーはいない。演奏を鑑賞していたのは僕一人きりだった。広場には大勢の人がいたのに、みんなベンチで語り合ったり、散歩したりジョギングしたりして、演奏する男には見向きもしない。男のほうはそんなことは少しも気にしていないようだった。彼は演奏に没頭するあまり、目の前に立つ僕の存在にさえ、気づいていないのだった。

男はひたすらがらくたを叩き、夢幻的な音世界を次々にそこに描き出していた。演奏は終わる気配もなかったが、僕はその場を去ることにした。疲れていたし、空腹を覚えてもいた。でも再び歩きだしたとき、先ほどまでのひどい気分が、いつの間にかきれいに消え失せていることを知った。