ノイズキャンセリングで聴く武満

ノイズキャンセリング・ヘッドフォンをつけて横になり、音楽を再生する。武満徹の『アーク』。僕はうまく寝つけないときによく武満徹の音楽を聴く。かつて睡眠障害のようになって、夜なかなか寝付けずに困っていた時期があったのだが、そんなとき、『ノヴェンバー・ステップス』をイヤフォンで聴きながら目を閉じていたら、ごく自然に眠気が訪れ、曲が終わるのを待たずに眠っていた。そのスムーズな入眠体験はほとんどショックですらあった。『ハウ・スロー・ザ・ウィンド』、『アステリズム』、『カトレーン』、いろんな曲を試したが、どれも十分な催眠効果を及ぼした。そうした経験によって、僕はこの作曲家がより好きになった。それ以前にも聴いてはいたが、夢中になるほどではなかった。わけがわからないまま、なにひとつ掴みとることもできずにいつの間にか終わってしまう、謎に満ちた正体不明の音楽だった。それでもCDを購入したり、著作を集めたりしていたのは、やはり何か惹かれる部分があったのだろう。ある特殊な状況に置かれない限り、本当の魅力に気づくことのできない音楽というのはあるのかもしれないと思う。僕は不眠によって武満の音楽の魅力を発見した。
混沌としていて、ときどきひどく不明瞭で、空気中に光る音の粒をまき散らしながら揺れ動く音は、夢と覚醒の狭間にある意識の中では、たいそう不可思議に、そして魅惑的に響くのだった。それは沈黙を縁取り、沈黙のうちに潜む不気味な暗部をも感じさせる音楽である。

『アーク』は、一柳彗のピアノによる録音のほうではなく、沼尻竜典指揮による新しい録音のCDだった。その演奏は素晴らしく、かねてから僕は愛聴していた。しかしライヴ録音なので、観客の咳の音が入っている。それもほとんど全曲に入っている。これまでは別に気にならなかったのに、今夜はその咳の音が気になって仕方がなかった。静かなパートになると、また咳が聞こえるのではないかと思って身構えてしまい、音楽に集中できなかった。いつかナナタンがコンサート会場における咳について長々と文句を言っていたことを思い出して、僕は彼女の気持ちを今になってようやく、正しく理解した気がした。このライヴ録音が行われたその日に、会場のサントリーホールの客席にいて、わざわざ咳をした名もない数人の観客を、僕は激しく憎んだ。ナナタンの言う通りだ、そんな奴らには死がふさわしい。武満作品の、それも静かなパートで咳をすることは犯罪に等しい行為だ。
「死刑にしろ!」僕は暗い部屋でひとり叫んだ。「連中の首を切り落とせ!その首を断頭台に並べて、鴉の餌にしてしまえ」
苛立ちのあまり身体が熱を持つのをはっきり感じるほどまでになり、ますます眠れそうもなかった。