ゲームセンターにて

僕は子供たちとゲーム・センターにいた。妻は一人で洋服屋で服を選んでいて、その間僕は子供たちをフロアの端にある狭いゲームセンターに連れてきたのだった。子供たちはクレーンゲームで遊んでいた。ひどく欲しいキャラクターのぬいぐるみがあるらしく、二人ともほとんど必死の形相でクレーン機械に向かっている。二人は小声で何か作戦のようなものを立てたりしていた。クレーンは握る力が弱くて、それにもしうまくつかめたとしても、あの穴のところに戻ってくるまでに落ちちゃうの。だからぬいぐるみのあそこのリボンのところを狙うのよ。あそこにあのクレーンの端を引っ掛けるの。そうしたら簡単には落ちないから………
僕は何となく、あたりを見渡した。なぜ見渡したのだろう?何かを感じたのだろうか。妻はまだ戻ってこない。そして僕はそれを見た、アーケード筐体の隙間から、ゲームセンターの入り口に、見覚えのある女が立っているところを。それはナナタンだった。彼女はTシャツにジーンズといういつになくシンプルな服装で、柱のようにその場に動かず立ち、こちらを見ていた。彼女は通路の邪魔になっていて、背後から来た人々が彼女を迷惑そうな目つきで見ていた。
ちょうど息子のケイがそのとき、目的のぬいぐるみを釣り上げ、横で見ていた娘のユイが大声をあげた。パパ見て、ケイがあれとった‼すごい‼それで僕はナナタンから視線を背け、ケイが誇らしげに手にしている自動車の形のぬいぐるみを見た。
すごいな。本当に取っちゃうなんて。難しそうに見えたのに。と言って僕はケイを褒めた。
ケイは、自分が上手かった、お姉ちゃんにはあんな上手にはできない、といった意味のことを言って、娘のユイが怒って言い返し、僕はその争いをいさめながら、再びちょっと顔をあげると、ナナタンは同じ場所にやはり立っていた。見間違いではなかった。彼女は確かにそこにいてこちらを見ている。僕はよほど子供たちを連れてゲームセンターを出ようかと思ったが、今度はユイがキツネのぬいぐるみを取るためにゲームを開始していて、それをやめさせるわけにもいかない。娘は弟に挑発されたのでいいところを見せようと躍起になっているのだ。どうしてナナタンがここにいるのだろう?いったい何をしに来たのだ?彼女は僕が今日ここにいることを知っていたのだろうか、それともただの偶然だろうか。……でもナナタンがこちらへ近寄ってくる様子はなかったので、僕はなるべくそちらを見ないようにしていた。
ユイが操作するクレーンからぬいぐるみが落ちて、それを見てケイが笑い声をあげたので、苛立ちを募らせていたユイが怒ってケイの背中を叩いた。その上彼女はクレーンゲーム機の台も叩いたので、僕はユイを叱った。物に当たっちゃだめだよ、ケイにも謝りなさい、と言うと、ユイはしぶしぶという感じで謝った。
そのあと僕はケイにも、そんなにからかわないで、おとなしく見るようにと言った。ユイ、つぎで最後だよ、落ち着いて、リラックスしてやるんだよ。焦るとどんどんうまくいかなくなるから」
ユイは彼女なりに落ち着こうとしているらしく、深呼吸をしていた。しかしもっとも落ち着くべきなのは僕であるようにも思える。もしナナタンがこちらに接近して来たらどうしよう、と僕は考えていた。子供たちの前で彼女に対してどう振舞うのが自然だろう。いや、そのことはどうにでもなる。問題は妻が戻ってきた場合のことだった。二人が鉢合わせるとまずいことになる。
お父さん、お金ちょうだい、とユイが言った。僕は我に返り、財布から硬貨を出してユイに渡した。つぎで最後だよ、このままだとお金がなくなっちゃうからね。
いやだ、取れるまでやる。
この場所を去る理由を考えながら、僕はユイがゲームをするところを見ていた。ユイはとても集中して、慎重にクレーンを操作している。ケイも今度はおとなしくしていた。クレーンは移動してお目当てのキツネのぬいぐるみの上で止まった。これまででいちばん上手く行きそうだったので、ケイも興奮して声をあげた。気がつくと僕のすぐ真横にナナタンが立っていた。僕は今はじめて気づいたという顔をして、彼女に「やあ、こんなところで、どうしたの」と言った。ケイが僕の声に反応してナナタンを見上げた。
あなたがケイちゃんね。こんにちは。とナナタンは言った。
ケイはこんにちはと言った。ユイはクレーン操作に集中しているので顔も上げない。
お父さんのお友達だよ、と僕が言うと、ケイは頷き、しばらくナナタンを見上げていたが、やがてまたクレーンゲームに関心を戻した。
ナナタンは僕の横に立ったまま去ろうとしなかった。僕は冷静を装いつつ、妻が今のタイミングに帰ってこないことを祈っていた。
クレーンは下降し、今度はめあての品物にちゃんと引っかかり、無事に排出口まで運ばれた。出てきたキツネのぬいぐるみを手にしてユイは飛び上がって喜んでいた。そのとき娘ははじめてナナタンの存在に気づき、挨拶をした。ナナタンはにっこりと微笑み、挨拶を返した。
「あなたがユイちゃん。本当、お母さんにそっくり」
ユイが何か言う前に、僕はナナタンに、「そろそろ行かなくちゃいけないんだ。また今度」と言って、二人の子供の手を引いてその場を離れた。「さよなら」とナナタンは言った。

僕は子供たちとゲームセンターを出た。途中一度だけちょっと振り返ったが、ナナタンはまだクレーンゲームの横に、何をするでもなく立ち尽くしていた。彼女は彼女の目の高さにある何かを真っ直ぐに見つめていて、別にこちらを見てはいなかった。プリント写真撮影機を利用する女子中高生や、音楽ゲームで遊ぶ子供たちに紛れた彼女の立像は、離れたところから見ると周囲から浮かび上がって見えた。ゲームセンターで遊ぶ客にはとても見えない。人というより風景を構成する無生物といった風に見える。そういえばナナタンはどうして僕の娘に向かって「お母さんにそっくり」なんて言えたのだろう?彼女は妻の顔を知らないはずだ。ナナタンが妻と会ったことはないのだ。そのことについて考えていると、ケイが「ママ」と大声をあげた。顔を上げると妻が大きな買い物袋を提げてこちらに向けて歩いてきていた。僕は再び後ろを振り返ってナナタンの位置を確認した。彼女はまだ同場所にいて、別に近づいてきたりはしなかったが、僕は落ち着かない気分のままだった。妻に「もっとゆっくりしててもよかったのに」と言うと妻は、「あら、今日は優しいんやね。いつも遅いって文句言うのに」と言った。僕は子供たちが何かナナタンについて言い出すのではないかと心配していたのだが、彼らはゲームで獲得したそれぞれのぬいぐるみを母親に自慢するばかりで、ナナタンのことは何も言わなかった。僕は駐車場に着くまで何度か背後を振り返ったが、ナナタンは最後までゲームセンターで何もせずにどこかを見つめながら立っていた。

子供たちがナナタンについて、妻に何か言わないかと僕は危惧していたのだが、ケイはおそらく忘れていたし、ユイも何も言わなかった。もっとも娘は変に気を回すようなところがあるので、僕に気を遣って黙っているのかもしれない。