ナナタンの涙

それはまたしても意図せざる遭遇だった。一人で車に乗っていたとき、信号待ちのときにいきなり誰かが後部座席のドアを開けて車に乗り込んできたのだった。僕は最初何が起こったのかわからず一瞬呼吸が止まったようになり、おそるおそる振り向くと、そこにナナタンがいた。まるで幻覚を見ているような気になって、混乱に襲われたが、そのときとっくに信号は青になっていて、後ろからクラクションを鳴らされたので、それによって何とか我に返り、車を発進させた。
たまたま通りかかってあなたの車を見かけたから、とナナタンは言った。僕はうまく返事ができなかった。混乱がおさまっていなくて、いまだに幻を見ている気分だった。ナナタンはバックミラー越しに僕を見ていた。まるでよくできた人形のようだったが、彼女は生きて、動いていたし、言葉を発しさえしたのだ。
そういえば、家近いもんね、と僕は言った。確かにそのとき車はナナタンのマンションの近くを走っていて、だから彼女がこの付近を歩いていることだって別に不思議ではない。ありうることなのだ。僕の車を見かけて、いきなり乗り込んでくるというのも、ナナタンの性格を考えればやりそうなことではある。
でもこんな風に会うのは初めてだったので、僕は自分が思いのほか動揺しているのに気付いた。考えてみればナナタンと昼間に会ったこともなかった。数日前にゲーム・センターで遭遇したときだけだ。そして彼女を車に乗せるのもはじめてだった。

僕は帰宅の途中だったが、ナナタンが唐戸にある観覧車に乗りたいというので、進路をそちらに向けた。その日はいつになく道が混んでいて、というのも関門海峡のあたりで映画のロケが行われていて一部道路が通行止めになっていたせいだったが、おかげで車はなかなか進まなかった。その間、ナナタンがずっと喋っていた。話すべきことならいくらでもある、といった調子で喋り続けていた。

唐戸に到着した後、僕らはスターバックスでコーヒーを飲み、それから観覧車に乗った。ナナタンはまだ喋り続けていた。その話はまるで連想ゲームのようにあるエピソードが別のエピソードを呼び、次々と発展していったが、話の中でつじつまが合わない部分とか不可思議な点が数多くあって、あまりに整合性を欠いているために、おそらく彼女は創作を交えながら思いつくままに喋っているのだろうと思った。ナナタンがそんな風な話し方をすることはよくあった。
彼女の話を聞きながら僕は観覧車から地上を見下ろす。対岸の門司の街並みが見えて、その手前には流れの速い巨大な川のような海峡を漁船や客船が横切っていった。下関ー門司間のフェリーの発着場がある『あるかぽーと』では、散歩したり、カフェで語らったり、釣りをしたりする人々の姿が点のように見えていた。ナナタンは今、過去の恋人について話している。さっきから彼女はその男性について事細かに語っている。しかしどれだけ聞いても僕はその人物について血の通わないロボットのようなイメージしか形作ることができない。それはナナタンがその男性の表面的な属性しか語らないためだった。出身大学、所属する企業、家族構成、好きな食べ物、好きな映画、まるでSNSのプロフィール欄を読み上げるみたいに。その男性の人柄や性格や内面といった要素は、少しも語られず、だから彼女がどれだけ熱意を込めて話したところで僕はいまだ何一つつかみ取ることができない。聞いているとその男性が本当に彼女の恋人だったのか、疑わしくなるほどだった。それで僕はもう少し踏み込んだ人間的なイメージを得るために、(大して関心はなかったけれども)その男性についていくつかの質問をした。しかし僕の質問はたいてい、やんわりと無視された。無視されない場合でも、彼女はどこか的外れな返答をした。ナナタンが自分が話すことに夢中になっているとき、僕の言葉はあまり届かない。これは仕方のないことなのだ。でも彼女の入り組んだ、支離滅裂ともいえる長い話を聞くときには、僕はまるで広大な迷宮を一人でさまよっている気になり、その気分はそんなに悪くない。けっこう好きでさえある。だから僕は基本的に彼女の話を遮ることはせずに、ただ役割として相槌を打つばかりである。彼女はだからといって全く僕をないがしろにしているわけでもなく、僕の発言によって話を軌道修正することもあるが、しかしたいていは、また別の迷路に迷い込んでしまうになる。

そんなわけで観覧車の狭い個室はナナタンの言葉で埋め尽くされた。観覧車が4分の3周したとき、ナナタンがある言葉を発した。その言葉を最後に、彼女の長い話は途切れた。それはひどく曖昧な響きの、絹を指先で撫でるような柔らかい響きの短い言葉だったが、まるで聞き取れなかったので僕は聞き返そうとした。そのときナナタンの顔を見て僕は少し驚き、言いかけた言葉を飲み込んだ。ナナタンの頬に涙が伝っていたのだった。
最初僕は何かの水滴が頬に付着して流れているのかと思った。なぜならナナタンが涙を流すところを見たことはなかった。しかし水などもちろんどこにもないので、それは涙であると考えないわけにはいかない。

しかし涙はほんの一滴流れたきりだった。僕が気が付いたときには、彼女はもう泣き止んでいたのだ。それはもしかしたら、何かのはずみでただ涙が一粒だけ落ちるという人体の現象だったのかもしれないとさえ思った。彼女が涙を流すほど感情をあらわにしたことが、僕には信じられなかった。かすかな戸惑いを覚えつつナナタンの顔を見つめていたが、彼女は普段通りであり、感情を乱した気配もなかった。
僕は見間違いだった可能性をしばらく真剣に考えていた。そのあとは我々はおおむね無言だった。
観覧車が地上に戻る頃には、さっきの涙のようなものは見間違いだったのだと、僕はほとんど確信していた。

別れ際にナナタンが「また会える?」と言って、僕は「もちろん。」と答えた。それは我々がときどき行うやりとりである。