住んでいるところ 紹介

僕が今住んでいるのは、下関市の西部の町で、かつてはそれなりに多くの人々が暮らしていたのだが、数年前、正確には2015年の春のことだが、町の端の小さな山に<ある存在>が住みついたことが原因で、住人が次々と町を離れるようになり、そのため人口は当時の半分にまで減った。
<ある存在>とは何なのか、どこからやってきたのか、誰も知らない。誰もその姿を見かけたことがない。とにかく普通の人間ではないことは確かだった。<ある存在>は、人々に何か直接的な危害を及ぼすことはない。ただ一日に何度も山のほうかから、雄叫びのような吠え声のような、あるいは悲鳴のような異常な声が聞こえてくる。その声を耳にすると、何だか柔らかいぬめぬめした触手で脳を直接撫でられるような感じがして、ひどく気分が悪くなり、吐き気や悪寒に襲われ、ひどい場合には気を失う。声は時間帯を問わず不規則に、唐突に起こった。それほど大きな音ではないのに、どういうわけか誰の耳にも届く。耳をふさいでもなぜか聞こえる。大勢の人間が精神を病み、自ら命を絶つ者もいた。
警察や消防は<ある存在>に対してなすすべはなかった。何しろ<ある存在>は決して姿を見せない。どれだけ念入りに山を捜索しても、影も形もない。宇宙からの襲来者だという説もあり、それはほとんど荒唐無稽な話だが、否定する根拠もなかった。

今では町は空き家ばかりでゴーストタウンのようになっている。いや、そんな生易しいものではなく、ほとんど廃墟である。野良猫の一匹すら見かけることのない、まるっきりの死んだ町。残っているのは、貧困や老齢など何らかの理由で移住が困難な人ばかり。行くべき場所を持たない、逃げ場のない見捨てられた人々。そして僕もまたそのうちの一人である。
僕にとって、<ある存在>が発する声は、みんなが主張するほど耐えがたいものではない。それどころか気分や体調によっては快く聞こえることさえあるのだ。でもそういうことを人に話すと、彼らは僕を異常者扱いした。

昨夜の夜中1時ごろ、また声が聞こえたが、短い時間ですぐに止んだ。そのあとは一晩中静かなままだった。最近では、声が聞こえてくる頻度はずいぶん少なくなったように思える。