荒れ果てた路地裏 (Run-down Back Alley)

f:id:xhours:20220322201941j:plain

 

犬はさっきから、ぴくりとも動かない。片隅の暗がりで黒い袋みたいにじっと横たわっている。電線に並んだ鴉の群れがそのさまを無言で見下ろしていた。酒場の前で二人の男が口論をしている。同じような薄汚れた格好をした二人の男が、口汚い言葉でお互いを罵り合っている。それはすでに口論という段階を過ぎて怒鳴り合いのようになっていた。そのうちに一人の男が、もう一人の男の腹をいきなり殴った。殴られた男はうめき声をあげてその場に膝をついた。さらに畳みかけるように男は相手へ向けて殴打を加えた。顎や頬を殴り、みぞおちを蹴り上げる。相手の男はなぜか抵抗せずただ殴られるまま、やがて地面に倒れた。暴行者はそれでも手を休めなかった。無関係な通行人たちがその傍らを無言で通り過ぎていった。彼らは路地裏で暴力沙汰を目にしても干渉しない。この場所では人と人とが殴り合う光景などは、とくに珍しくもない光景なのだ。あまりに頻繁に似たような場面に出くわすうちに人々の感覚は麻痺してしまっていた。血を流して倒れる人を見ても顔色一つ変えず、無視して立ち去ることに良心の痛みも覚えない。警察に通報することもない。もっともこの街においては警察機構などまともに機能していない。警察官は金であっさりと買収されて平然と悪の側についたりする。

そんな街で、人々はみな鬱屈した苛立ちを抱えて生きていた。誰もがみなどんよりと濁った目をして、建物の色までくすんでいる。誰もが暴力を行使する口実をいつも探していて、その空気は人間以外の生き物にも伝染した。絶望しているのは人間たちばかりではない。犬も猫も鳥も虫でさえも、絶望し、血と暴力の匂いに飢えている。そうした思いを抱えたものたちは、おびき寄せられるように路地裏へ集まり、お互いに傷つけあい、殺し合う。この場所には死が満ちている。金持ちたちは決してここへは足を踏み入れない。

殴られた男は動かなくなった。血がアスファルトを黒く濡らしている。暴行者の男は地面に唾を吐き、どこかへ歩き去って行った。
いつの間にか犬の死骸は白骨に変わっている。鴉の群れは、彼らの「食事」を終えた後も、繰り広げられていた暴力的な光景が終わるまで、なぜかそこにとどまっていた。男が去ってしまうと、鴉たちもどこかへ飛び立っていった。街灯の明かりのもとで、白い骨が奇妙な光沢をたたえている。