殺す価値もない虫

王様は蝶の飼育を道楽としていた。城の庭の一角にビニールハウスを設け、しょっちゅうそこにこもっては蝶の繁殖と生育に没頭した。ある日王様は新しい蝶の生育に成功した。その蝶は異常なほど繁殖力が旺盛で、またたくまにおびただしい数に増殖した。それはビニールハウスを飛び出し、お城のあちこちを飛び回るようになった。それは決して美しくはない、むしろ醜悪な蝶だった。控えめに言ってそれは羽根の生えた蛆虫のようだった。飛び方も普通の蝶とは違って、ひらひらと揺れるようにではなく、不自然なほど直線的に飛んだ。
いつしか蝶は城下町にまではびこるようになっていた。その数があまりに多いので、人々の生活に支障をきたすほどだった。人々はその蝶を嫌った。しかし大っぴらにはそのことを口にしない。殺したり傷つけたりすることもなかった。何しろ王様のお気に入りの蝶なのだ。もし蝶に危害を加えたりして、そのことが王様の耳に入ったら怖ろしいことになるだろう。蝶に関する限り、王様は節度を保つことができない。以前にも王様の蝶に手をかけて、ひどい目にあわされた住人がいる。噂ではその人物は拷問に近いようなひどい罰を受けたらしい。
だから人々はいくら疎ましくてもその蝶に手出しできなかった。せいぜい不愉快そうな表情を浮かべて、軽く手で振り払ったりすることしかできなかった。

あるとき、一人の男が突如として城下町から姿を消した。町では奇妙な噂が流れた。なんでも消えた男は、例の王様のお気に入りの新種の蝶を殺してしまったのだ。そのことが王様の耳に入り、捕えられ処刑されたという噂だった。
それは噂でしかなかった。でもおそらく真実だろうと多くの人が思った。あの蝶気ちがい王様ならやりかねない。まして王様はあの蝶を特に気に入っていた。死刑だってあり得ないとは言えない。
でも蝶を殺しただけで死刑というのは、あまりに異常で理不尽な所業である。人々は怒り、嘆いた。それでもやはり誰も大っぴらには王様を非難することはできないのだった。

やがて城下町から逃げ出す者が続々と現れた。蝶を殺しただけで死刑にされるような国からは逃げたほうがいい。人々がそう考えるのも無理もないことである。しかしそこから逃げ出すのも容易ではなかった。国は山と谷と大きな河とに囲まれていて、最も近い集落へは100キロ以上もあり、そこへ至る道も相当に険しい。それは一種の隔絶された土地であり、移住を考えただけで、たいていの人は暗澹たる気持ちになる。
だからたいていの人々は耐えるしかなかった。ただの蝶なのだ、醜悪なだけで特に害もない、わざわざ殺す価値もない虫なのだ。気にしないようにしよう、いないものとしてふるまおう、……自らにそう言い聞かせつつ、人々は生活をつづけた。
しかしそうした抑圧した気分は心を荒廃させる。人々は酒に溺れ、いつも苛立ち、ことあるごとに暴力をふるうようになった。犯罪が多発し、日に日に空き家は増えて、景色まで荒れ果てていった。
蝶たちは今日も元気にそこらじゅうを飛び回っている。その数は増えに増えて、いまや空を覆いつくさんばかりだった。王様は毎日バルコニーからその光景を満足そうに眺めている。