ひみつ研究所 (Secret Laboratory)

彼は自宅兼研究所にこもりきりになってある薬の開発とそのための研究に没頭していた。彼が目指していたのはまったく新しい睡眠導入剤の実現である。服用するとたちまち眠りに落ち、そのまま死ぬまで目を覚まさない。眠ったまま生体は老化し、そしてしかるべき時間ののちに心臓が停止する。永遠の眠りを約束するそんな最強の睡眠導入剤

開発に着手してから9年が過ぎていた。彼はその間に数えきれないほどの失敗を繰り返した。試作品が出来上がるたび、彼は自ら実験台となって薬を服用する。成功か失敗かは自らの肉体によって判断するしかないのだ。成功なら目を覚ますことなく眠り続けることになる。失敗だった場合には、覚醒によってそれが失敗だったと知る。いくつかの試作品は、彼の身体に軽くはない後遺症を残した。それでも彼はくじけなかった。

そして今日、新しく出来上がった試作品を、彼はいつものように服用した。直後に彼は眠りこんでしまい、そしてそのまま長く目覚めなかった。眠ったまま一か月が過ぎ、半年が過ぎ、一年が過ぎた。彼は深く、完全に眠り続け、その眠りは一度も中断しなかった。それほど長く薬の効果が持続したことはなかった。今度こそ薬は完成したのかもしれない。しかし眠りの奥深くに沈んでいた彼の意識は、もはや一切を感知できない。
眠りながら彼はひどく苦しそうな様子を見せた。明らかにその眠りは安らかなものではなかった。苦悶に顔を歪め、全身から脂汗を流し、唸りや叫びや悲鳴を何度もあげた。ときに両手で頭や胸を押さえたり、何かから身をかわすように素早い寝返りを打ったりもした。床に転がって眠っていた彼の身体はあちこちを壁や家具に打ちつけたために痣だらけになっていた。もしそばで様子を見守っている人がいたら、いたたまれなくて起こそうとしたに違いない。しかしそんな人はいない。幸か不幸か彼は孤独だった。それも完全に孤独だった。妻も子供もすでに世を去っていたし、友人も知り合いもいない。彼が眠りによって世界から脱落したところで、その不在を悲しむ人や残念がる人はいないのだった。彼の不在はどこにも何の影響も与えない。誰かに気づかれることさえない。
もし誰かが彼のそばにいたとしても、その人物がどれだけ懸命に彼を起こそうとしたとしても、彼を眠りから覚ますことはできなかっただろう。薬の効果はそれほどに完璧だった。彼は眠り続けた。そして終わりのない夢のなかでもがき続けていた。

そのまま2年が経過した。ある日、大地震が土地を襲い、古びて半ば崩れかけていた彼の自宅兼事務所は、その地震にひとたまりもなかった。屋根や壁が轟音を立てて崩れ落ちるさなか、その瞬間にもやはり深い眠りの中にあった彼は、それらの一切を感知することなく、そのまま瓦礫の下に埋もれた。