禁じられた場所

建物の位置関係のために、一日に一度も日が差さない一角。面積にして10㎡、直角三角形のような形をしたその地帯は、街の住民から禁じられた場所と呼ばれている。
人々は滅多にその一角に足を踏み入れない。基本的には近寄ることもない。その影の中に入るとたいていの人が体調の異変を訴える。呼吸がしづらくなったり、眩暈や胸の動機に襲われたり、ひどい場合には倒れる者もいた。一度子供が昏睡状態になって半日ほど気を失っていたこともあった。子供はただ意識を失っただけでそのほかに体調には異変はなく、後遺症も残らなかった。
土地について調査がなされたが異常は発見されなかった。地中から有害なガスが発生していたとか、土に有毒な成分が含まれていたとかそういうことはいっさいなく、ただ一日中日が差さないことのほかには、その一角が他の場所と異なる点はない。
呪いだとか霊の仕業だとか、目に見えない瘴気のようなものが立ち込めているだとか、様々な説が提示されたが、有効な根拠は見つからない。鳥や犬猫やその他さまざまな生き物の死骸が、よくその三角形の内側で発見された。人々はますます近寄らなくなった。その三角地帯は現在は封鎖されている。封鎖と言っても周囲に鉄の細い棒を数本立ててそれをロープで繋いだだけのぞんざいなものである。しかしあえてそのロープを乗り越えてまで侵入する者はいない。

ある日のこと、市の「まちBBS」の掲示板に、一枚の画像が投稿された。例の禁じられた三角地帯の真ん中あたりに、魚の頭のような妙な物体が浮かんでいる。そのさまを撮影した写真だった。魚の頭は普通の魚よりはずっと大きく、まるでマンボウの頭のようだったが、頭より下はバッサリ断ち切られたみたいに存在していなかった。そんなものが、ただ何もなく空間に浮いている。紐か何かで吊るされたり、下から何かで支えられている様子もなかった。誰にとっても見慣れない物体だった。
画像を閲覧した人々は、その写真をただのいたずらのトリック写真だとみなした。無駄に手の込んだいたずら、愚かな暇つぶし、そうした反応がほとんどだった。彼らは概してその写真と、画像を投稿した人物を馬鹿にして嘲笑していた。
しかしその画像をことさらに気味悪がる人もいた。何しろ写真に写ったその物体は、見れば見るほどただの魚とは思えなくなってくる代物だった。真ん丸な目、突き出た口、顔を覆う鱗。そうした特徴は魚そのものだが、胴体の部分が存在しないので、えらやひれもない。無理に何かで胴体を切断したような形跡はなく、その物体はその形で完結しているように見えた。
もし作り物だとするなら、その材質はどのようなものなのか、と疑問を提起する者もいた。魚頭はプラスチックにも布にもゴムにも見えない。その画像に対して最も批判的な人の目にさえ、その質感は本物の魚の鱗に見えていたのだった。いたずらで作ったのにしては精巧に過ぎ、リアルに過ぎた。
投稿者はその画像を投稿しただけで何の説明も加えず、そして二度と掲示板に書き込まなかった。様々な意見が書き込まれたが、不毛な言い争いが続くばかりで結論は出なかった。

それから一週間後、例の奇妙な画像のことなど誰もが忘れかけていた頃に、同じ掲示板に今度はYouTubeのリンクが貼られた。ごく短い、90秒ほどのその動画は、またしてもあの禁じられた場所を撮影していた。それは異常な映像だった。例の呪われた三角地帯の内側の地面に、「魚頭」が転がって横たわっている。大きな丸い眼玉のすぐ下に、何か刺し傷のようなものがあって、そこから黒いドロドロした液体が流れ出していた。それは血液のようでありながらそうではない、溶けた泥のような物質だった。カメラはその魚頭を真上からとらえている。画面の端から撮影者のものと思しき右手が伸びて、そしてその手はナイフを握っていた。その何者かは、そのままナイフを魚頭の丸い眼玉に突き刺したのだった。刺された瞬間、魚頭はわずかに身をよじらせたように見えた。刺された目玉から黒い液体が涙のように流れ出る様子をとらえたまま、動画は唐突に終わった。
映像で見ると、魚頭はよりいっそう作り物には見えなかった。それは魚の頭に似た形をした未知の生物のように見えたし、流れ出る血のような液体は、その異形の生物の体液のようだった。
禁じられた場所はもう呪われていません。動画にはそんな説明文がついていた。投稿者が動画について与えた情報はその一文のみだった。
投稿者を特定しようとする動きが掲示板内で起こったが、あまりにも手がかりが少ないために、ほとんど実を結ばなかった。アカウント名はルファベット二文字だけのいい加減なもので、ほかにはどんな情報も公にされていない。映像には撮影者の衣服の袖口や右手、それに足元のスニーカーなどが映りこんでいたが、衣服は特徴がなさ過ぎて特定できず、手には手袋をつけていたので、性別さえわからなかった。スニーカーはコンバースの黒いオールスターだったが、そんなスニーカーを履いている人間はいくらでもいる。ナイフだけはドイツ製の高価なものであると判明したが、その情報だけでは何の手掛かりにもならなかった。
動画は投稿から数分ほどの間に10000回以上再生されたが、猟奇的な内容を含んでいたために運営に通報され、およそ2時間後には閲覧が不可能になった。アカウントもほどなくして削除されてしまったので、全ては謎のままに終わった。

その後、禁じられた場所では変わったことは起こっていない。最近では、その場所を封鎖する必要はもはやないのではないかという声が一部で起こっていた。三角地帯はもう以前のように呪われてはいないのだと彼らは主張する。ある青年は、あの三角の影の内側で数時間過ごしたが、体調が悪くなることもなく平気だった、と証言した。
しかし人々の多くは依然としてその一角に近寄ろうとはしない。禁じられた場所は今もロープで囲われたままになっている。