Yの幻

雪が降る土曜日の昼下がりにYの幻は現れた。そのとき僕は冷えきった部屋で一人でギターを弾いていた。つまり暖房をつけることを思いつかないほど夢中になっていたのだ。ふと顔を上げると幻はすでにそこにいて、僕の1メートルほど向こうに立ってギターを弾いていた。
僕が幻のようなものを見るのははじめてのことではない。とくにライブやコンサートで熱狂して白熱した状態のときにはしばしばそういう神秘的な体験をした。しかしこうして部屋で一人でギターを弾いているときに、それも練習ではなくどちらかと言えば楽しみのために弾いているときに、そういう不可思議なものを目にした経験はなかった。

僕は茫然と目の前の幻を眺めた。その姿はおぼろげにしか見えない。ギターを弾くYの幻の左手の動きに合わせて、小さな赤い光が揺れ動いていた。それはYのトレードマークとして有名な深紅のサファイアの指輪の輝きだったに違いない。そして僕は幻の出現に驚くよりはむしろその宝石の美しさに目を奪われていた。その赤いきらめきはYの怖ろしく早い手の動きをたどりながら空間に幾筋もの滑らかな曲線を引いた。Yの圧倒的な才能とその音楽を表象するかのように美しく力強く、繊細な光だった。

ところでYと呼ばれるそのギタリストは、ギターに少しでも関心のある者ならその名前を知らないものはいない。常人にはほとんど理解不能なほど複雑で難解なフレーズを文字通り目にもとまらぬ速さで弾くその技巧と、12音技法やトーン・クラスターなどといった現代音楽の要素をロック音楽に大胆に持ち込み融合させたその音楽性によって、彼の登場は彗星のようなインパクトをシーンに与えた。しかもデビュー当時Yはほんの16歳だった。それほどの若さで彼はそうしたことをやってのけた。Yは紛れもない天才であり、彼がなしえたことは革命だった。多くの人々がYの音楽に熱狂し彼を崇拝した。

しかしもちろん全てのロック・ファンが手放しで絶賛したわけではない。Yのことを嫌う人も大勢いた。彼の音楽はあまりに革新的だったので、気に入らない人々はとことん気に入らない。そして古今東西の天才の例にももれず、Yもまた強烈なパーソナリティを備えていた。数々の奇行と過激な言動は多くの人々のひんしゅくを買った。行く先々で派手なトラブルを起こしていつも多くの訴訟案件を抱えていた。それでも彼の音楽は一貫してテンションも完成度も落ちなかった。Yは最後まで才能の鮮度を保ち続けた稀有な芸術家だった。

僕の前に現れたのはそういう人物の幻だった。僕はもっと驚くべきだったのだろうか、感動するべきだったのだろうか?幻のYは長い赤茶色の髪を揺らしながら演奏に没頭している。僕は一度も生きて動くYの姿を見たことはない。そしてその機会は永遠に訪れない。Yはもうこの世にいない――彼は28の歳に肝臓の病気で死んだ。死の直前にはその身体は丸太のように肥満していたということである。彼の音楽的革命、彼を取り巻く毀誉褒貶、そして彼の死、すべては僕が生まれるよりもずっと昔に起こったことである。

幻が弾きだす音楽は分厚い霧を破って遥か遠くからかろうじて届く漠然とした海鳴りのように響いた。ときどききれぎれに和音や旋律の断片が霧の向こうから一瞬だけ顔を出したが、それは僕が聞いたことのあるYの楽曲のどの部分にも似ているように思えなかった。それでも僕は催眠術にかかったみたいに朦朧としながら、雲の上にそびえる黄金の神殿に閉じこもりそこに響く夢幻的な音楽に耽溺していた。僕を酔わせたのは曖昧模糊としたその音楽だったのか、それとも赤いサファイアのきらめきだったのか?そして幻はだんだん薄れていった。結局その像は最後まで明確な輪郭を描くことはなかった。僕の目がはっきりととらえたのは揺らめく赤い小さな光だけだった。

僕は短い眠りから目覚めた人のように突然我に返り、気がつくと僕はギターを膝の上に置いたまま、部屋に一人でいた。身体が震えていて、強い寒気を覚えた。まさしく骨まで凍るような寒さで、僕はギターをスタンドに戻して寝室に行き暖房のスイッチをつけて毛布にもぐりこんだ。横になって目を閉じていると赤い光の残像が瞼の裏に蛍みたいに浮かび上がり、そのかすかな記憶だけが身体を暖めてくれるような気がしていた。

少し眠った後で部屋を出てキッチンに行き、熱いココアを作って飲んだ。そのとき音楽のアイデアがとめどもなくあふれてきて、頭の中でわけのわからない音が洪水のようにでたらめに鳴り響いた。僕はすぐに部屋に戻り、午後の残りの時間もずっとギターを弾いて過ごした。