Facebookで再会した同級生

Facebookのアカウントを作ったとき、僕が最初に検索したのは、高校の頃のある同級生の名前である。彼のことはよく覚えていたのだ。なぜなら彼と僕とは漢字が一文字違うだけの同姓同名だった。さらに僕は彼と二度も同じクラスになっていた。もちろん出席番号は隣で、だから学校内では一緒に行動する機会が多かった。例えば掃除の割り当てなどで。しかし僕は彼とろくに口をきいたことがない。
彼だけでなく、僕は基本的に学校では誰とも口を利かなかった。もちろん友人もゼロだった。学校での僕はほとんど透明だった。いわゆるいじめに遭っていたわけではない。同級生たちは僕に対してわざわざいじめるほどの関心すら持っていなかった。ただひたすら僕の存在を無視するばかりだった。同級生の誰も僕の名前を呼ばず、僕もまた同様だった。
同姓同名の同級生は、なぜか僕のことを明らかに嫌悪していて、そのことを隠そうともしなかった。彼だけは僕を透明人間として扱うだけでは済まさなかったのだ。彼はしばしば僕のことを大っぴらに口汚く罵り、時にはちょっとした暴力をふるうことさえあった。たとえば僕が通路に立っていて邪魔になるようなとき、彼は僕の背中を思い切り突きとばした。
どういうわけか彼は僕の顔を見るだけでどうしようもなく苛立つらしかった。そのことに気づいたとき、僕はなぜかさほど不愉快ではなかった。むしろ彼が苛立つ様を見て面白みを覚えてさえいた。僕は彼と対するとき、しばしば笑みを浮かべた。その微笑はもちろん、さらに彼の怒りを煽ることになった。

その同姓同名の同級生のFacebookアカウントはすぐに見つかった。そのアカウントに公開されていた情報によると、彼は現在大阪に住み、家具販売会社に勤めていて、結婚して息子が一人いる。プロフィール画像には彼の子供が映っていた。その他生年月日や好きな映画や好きな音楽、実家の住所や、奥さんと子供の名前まで知ることができたし、TwitterInstagramのアカウントまで、芋づる式に特定できた。彼は写真アルバムを「全体に公開」にしていたので、僕は写真を閲覧することもできた。彼の家族が彼の友人の家族と一緒にバーベキューをしている写真、広い草原のような場所を駆け回る彼の娘の写真、奥さんと二人で食事をする写真など。
かつて高校時代、僕が彼について知っていることといえば名前ぐらいだった。話したこともないし、趣味趣向など知る由もなかった。それなのに今ではちょっと検索しただけで彼についての個人的な情報を知ることができる。彼もやはり自己顕示欲という魔物から逃れられないらしい。現代では、誰もが自分のことを知ってもらいたくて仕方がなく、また他人との差を明らかにしたいと望んでいるかのように、インターネットを眺めていると、思えてきてしまう。ソーシャルネットワークサービスの隆盛により、自己顕示の欲求は絶えずひっきりなしに刺激されて、多くの人々は競い合うように、取り残されないように、聞かれてもないのにいろんなことをインターネットでアピールする。でもそうした傾向はおそらくとくに現代人に特有の病理というわけではないのだろう。人間というのはたぶん本来そういう性質を備えているのだ。今はたまたまインターネットがあるせいで、それがあからさまに目につくようになったというだけのことだ。
気がついたとき、僕はフレンド申請のボタンをクリックしていた。あろうことか、「久しぶり~覚えてる?高校の同級生の〷だよ!」というふざけた感じのメッセージまで添えて。何が僕にそんな行為をさせたのかはわからない。高校を卒業してから彼とは一度も顔をあわせていない。彼はもう僕のことなど完璧に記憶から消してしまっているはずだ。でもこの申請とメッセージによって、彼はおそらく僕のことを思い出すだろう。当時、彼が僕に対して抱いていた感情をよみがえらせることだろう。僕にはそのことが少し面白かったらしい。ただのワンクリックで人を苛立たせられることができる。画面を眺めながら、いつしか僕はにやにやしていた。自分が彼をひどく苛立たせていることに気づいて、奇妙な喜びを覚えていた、高校生の頃の気分を思い出していたのだった。
申請は退けられた。僕は別にがっかりしなかった。同姓同名の同級生は、「全体に公開」にしていた写真アルバムを「友人のみに公開」に変更していた。

そのあとも僕はいろんな同級生に手当たり次第にフレンド申請を送ってみた。意外なことに彼らのうちの何人かは、申請を承認してくれた。僕はオンライン上で彼らの「友人」になることができたわけだ。さらに驚くべきことには、承認してくれた同級生たちは僕のことを覚えていた。高校で僕はあれほど透明人間然とふるまっていたのに、むしろそうだったからこそ、彼らにとって僕は奇妙に記憶に残る存在だったらしい。彼らは当時の僕について、いずれ学校に来なくなるんじゃないか、とか、急に自殺するんじゃないかと思ってた、などと語った。
僕もかつてとは違い、インターネット上では彼らに対して友好的に接した。オンラインでならそんな風にふるまうことは容易だ。