僕はキッチンに行って流しの水で手を洗い、顔まで洗った。それからコーヒーメーカーをセットした。
隣の居間では祖母が一人でテレビを見ながらお茶を飲んでいる。
あれからどうなったんかね、ちゃんと直ったんかね、祖母がCMの間に話し掛けてきた。
うん、もうすぐだよ、と僕は返事をする。
それなら安心やね。あれが直ったらまた元通りに暮らせる。
僕はまた適当に返事をする。僕は出来上がったコーヒーをカップに注ぎ、それをもってキッチンを出た。

部屋に戻ってそれと向かい合う。つまりこの一週間僕を苦しめ悩ませ続けた問題の原因と向かい合う。柱は冷厳とそびえたっていた。まるで僕を見下ろすように。祖母にはああ言ったものの、実際のところ直せる見込みは立っていない。この柱の修復が自分の手に負えないという事実を、僕はどうしても受け入れられずにいた。祖母に対する建前だけでなく、自分自身のためにも、僕はそれを認めるわけにいかないという気がしていた。それを認めること自らを全否定することにつながるのではないか。あるいはそのことそのものを意味しはしないか。
しかし今ではその思いもだいぶ和らいでしまっている。僕はあきらめに達しつつある。確かにこれを修復することは僕の能力を超えている。いや、僕でなくても他の誰もこんなものは直せるはずがないのだ!このろくでもない柱はひどく繊細なので、ちょっとした衝撃ですぐに不具合を生ずる。イライラしてちょっと荒っぽくいじろうものなら、きっと永久に駄目になってしまうだろう。実のところ、僕は今ではその衝動と戦っていた。つまり修復作業なんかやめて徹底的に破壊してやろうかという衝動。きっとそれは快感に違いない。楽しいに違いない‼ ……しかしそんなことをしようものなら、あの気難しい祖母は怒り狂うに違いないのだし、それよりもまず先にこの家が倒壊してしまう。だからさすがにそんなことはできない。祖母だけでなく僕だって、この先もこの家で生きて行かなくてはならないのだから。
コーヒーを飲み干した後も、僕は長らく迷っていた。不可能だという結論し達したのにもかかわらず、柱を折りたいという衝動は消えずにとどまっていた。もし僕がそれを壊しても、その行為が故意なのか手違いによるものなのかは誰にも判断できないはずだ。すべて終わりにしたっていいのではないかという思いが生じつつあった。家が崩れて、僕も祖母も下敷きになって、それですべてが終わったとして、なぜいけないのだろう?
そんなことを考えるうちに眠気が襲った。頭をぐらぐらと揺らすほどの強烈な眠気だった。ベッドまで歩いていくことさえできそうにない。今すぐこの場に横になって眠ってしまおう。コーヒーに何か薬でも入っていたのだろうか? いや、そんなはずはない。僕はあのコーヒーを自分で入れたのだ。
目を閉じた。するとたちまち家は炎に包まれ、僕と祖母は燃え盛る火の中で黒く焦げながら死んでゆくのだった。