隔絶されて

街は8つの灰色の山々に囲まれている。高く険しいそれらの山々を越えてここまでやってくる人はまずいない。それだけの価値はここにはない。何の変哲もない面白みのない街なのだ。建物はいずれも同じような形をしていずれも同じようにくすんでうらぶれており、だからと言ってひどく古びているというほどでもなく、景色はどこを切り取っても没個性的で寂しい。しかしその寂しさは特にある種の詩情や感興を呼び覚ますというほどのものでもない。商業施設や娯楽施設などは適当にそろっている。一応大学も2つほどある。人々は偏屈で排他的で、新しいものを嫌った。

それが僕の生まれた街。そして僕はここから一歩も出たことがない。8つの山の外側に行ってみたいという思いを生まれてから一度も抱いたことがない。僕の人生はこの狭い円環の内側で完結している。僕が必要とするものはたいていこの街にある。たいていの欲求は満たされてしまう。そうだとしたら、どうしてわざわざよそへ出て行かなくてはならないのだろう。しかしそんな主張は誰をも納得させなかった。たとえば進学や就職を機に街を出て行った同級生たちは、僕のことを変人呼ばわりした。あるいは臆病者呼ばわりした。外の世界を知らずに今場所に住み続けて死んでいくのは愚かなだけでなく明らかに間違ったことだと彼らは主張した。僕は彼らの言っていることが理解できなかった。彼らは何を求めて山を越えるのだろう?何にしても僕は必要を感じない。だからやらない。それだけのこと。

それでも僕も旅をすることはある。僕の旅はパソコンの画面の内側で完結してしまう。Google Mapsストリートビューを大きな画面に映し出すだけでいい。それによって自宅に居ながらにして国内だろうと海外だろうとそれなりの精細な画質によって土地の風景を見てまわることができる。そして画面に映し出された風景をキャプチャして保存する。そのようにして僕は南米大陸を縦断し、ヨーロッパを横断し、北欧を旅し、ハワイを訪れ、カナダの原生林を歩いた。そういうのだってちゃんと旅だし、十分な思い出になるんだよ。しかし誰からも同調を得たことはない。
もちろん世界にはストリートビューによって閲覧できない、Google社の介入を免れている地域も、まだ数多く残されている。僕が住むこの街もまた、ストリートビューで閲覧できない。あの巨人の背中みたいな8つの山が阻んでいるためだ。ここの住民の多くは外界との接触を嫌い、よそ者を遠ざける傾向にある。山道は外から自動車で入ってくることのできないような仕組みがなされている。出て行った人たちはみな夜逃げ同然にここから脱走した。

僕はおそらくこの土地を愛している。この閉鎖された環境が僕の性向にひどく合うらしい。
ときどき僕は街のホテルに泊まる。どうしてこんな隔絶された、よそから人がやってくることのない街にホテルがあるのかは、この土地における一つの謎である。当然ながらホテルが宿泊客でにぎわうといったことはなく、一年中閑古鳥が鳴いている。しかもロビーの天井にはなぜか大きな穴が開いていた。直径30センチほどのそれなりの大きさの穴で、どこからでも見える位置に堂々とぽっかりと開いているのだ。支配人もフロント係もボーイもその他の従業員も、その穴について少しも悪びれる様子を見せない。彼らは穴について尋ねられてもまともな返答をしない。
そんなホテルだった。部屋自体は悪くはなく、狭いけれども清潔で居心地は良い。ときどきそのホテルに宿泊することで、僕はつかの間のよそ者気分を味わう。あるいはこのホテルは、そのために存在しているのかもしれない。土地を一度も離れたことのない人に、非日常を体験してもらうためだけに存在しているのかもしれない。そう考えるとあの天井の穴が、この土地を暗喩するものに思えてくる。Google Mapsストリートビューを使うとき、閲覧可能な道路が色付きで表示されるが、びっしりと色で覆われた地図上でこの街のあたりだけは、それこそ穴が開いたみたいに空白になっている。あの天井の穴を見るたびに、僕はそんなマップの画面を思い出してしまうのだった。