素敵な理想キッチン

ある夜僕はキッチンで眠った。寝床を窓から遠ざける必要があって、適当な場所がキッチンだった。なぜ窓から遠ざかりたかったかというと、向かいの家の騒音が窓越しに夜通し聞こえてくるからだ。どういうわけかその家では一晩中テレビがつけっぱなしになっていて、そのうえ明かりも夜中こうこうと灯っている。誰も詳しく素性を知らない男がその家に一人で住んでいる。男はテレビを見ている間、黙っていられないらしく、いつも何か一人でしゃべっている。テレビの中の人物が言ったことに対して、相槌を打ったり、笑ったり、歓声をあげたり、個人的な意見を述べたりしている。もちろんその声もぜんぶ外に漏れていて、それによって性別だけは知れたのだった。

近隣の住民はみな騒音に辟易していた。しかし男は何度注意されても態度を改めない。何度か警察が呼ばれたこともあったが効果はなかった。男はテレビの音量を下げることも大声でテレビと会話することもかたくなにやめようとしなかった。少し頭がおかしいのかもしれないし、何にしてもまともな人物ではないことは間違いなく、誰もそんな人間と深く関わりたくはないので、そのうちにみんなあきらめて何も言わなくなった。引っ越せる人は引っ越したし、それができない人は騒音に対してそれぞれ独自で対策をとった。僕もいろんな対策を試した。耳栓をしたり、遮音カーテンを取り付けたり、窓を二重にしたりした。いずれも大して効果がなく、そして最後に行ったのが、寝床をキッチンに移すことだった。

僕は普段からベッドではなく床にマットレスを敷いて眠っていたので、寝床を移動させることは難しくはなかった。それまでキッチンのスペースを占有していたテーブルをよそに移動させ、そこにマットレスを置いてその上に横になったとき、僕はその新しい、いくぶん奇妙な環境に、意外なほど違和感を覚えなかった。それどころか落ち着く感じさえした。寝室に比べるとキッチンはだいぶ狭い。その狭さが落ち着かせる理由だったのかもしれない。まるで人のうちに泊まりに来たような、あるいは修学旅行の夜みたいな、そんな非日常的な雰囲気を感じた。そしてドアを閉めてしまえば向かいの家からの音はもう聞こえない。そうやって僕は騒音から逃れた。

それ以来、キッチンは僕にとって重要な場所になった。何しろその空間は食事と睡眠という人間にとって最も重要な二本の柱を受け持つことになった。僕は毎日キッチンを掃除し、またそこにある家具や物をなるべく整頓して綺麗に配置するように心がけた。居心地の良い理想的なキッチンについて学ぶために本を読んだりインターネットで検索したりした。キッチンを整えることが僕の生活にとって新しい重要なテーマになった。僕は多くの時間をそれに費やし、そしてそれなりに理想的な空間をそこに作り上げた。壁の青と白のタイルをいつも清潔に保ち、ステンレスはピカピカに磨いて、カラフルでおしゃれなマットを床に敷き、機能と美観を両立した食器と調理器具をそろえた。窓際に一輪挿しを置いて近所で摘んできた水仙を活けた。壁には絵を掛けた。自分で描いた海の絵。キッチンに飾るための絵を描くために、僕はある日の午後、電車で海へ行ってスケッチしてきたのだった。そしてもちろん毎日キッチンを掃除した。こんなにこまめに掃除を行うことは僕には珍しいことである。しかしキッチンを美しく保つための時間は充実していて、掃除さえ苦にならなかった。

僕は自らが思い描く素敵な理想キッチンにふさわしい人物に、自分もならなければならないと考えるようになった。それまでの僕は、自分のような非おしゃれな人間におしゃれで美しい空間などふさわしくないものと知らず思い込んでいた。そうやって自分をしばりつけていたのだった。部屋には自分自身に対する評価がおのずと滲み出る。だから僕の部屋にはいつまで経っても洗練からはほど遠いどこか投げやりな印象が付きまとっていた。

理想のキッチンの実現という目標を得たことは僕にとって重要な出来事だった。それだけで大げさに言えば人生が一段階上のステージに進んだような気がした。理想の追求はそれ自体が喜びと充実と快感をもたらしてくれる。それらはいずれも僕の生活に欠けていた要素だった。
そのことについて、僕はあの騒音住人に感謝しなくてはならないのかもしれない。あの男がいなければおそらく僕の生活は同じ段階にとどまったままだった。結果的に彼のおかげで僕は貴重なことを学んだのだ。

少しづつ理想に近づく僕のキッチン兼寝室。その空間に一人でいるとき、僕は落ち着いている。静かな夜に集中して耳を澄ませると、あの大声がドア越しに聞こえてくることはある。でももう僕は騒音のことなどどうでもよくなっていた。