風車と呼ばれた猫

猫はかざぐるまともふうしゃとも、あるいはさらに縮めてカゼとかフウとか呼ばれたりしていた。一日の大半を風のように気ままに過ごしあちこちをさ迷う文字通りの神出鬼没の猫である。八百屋の店先に突如として現れたかと思うと、その数十秒後には4キロ離れた路上でその姿が確認されたりした。野良のわりには行儀がよくておとなしい猫だったので、人々からは愛されていた。

ところで町の南部には山がある。高度30メートルほどの小さな山で、登山道は舗装されていて傾斜もなだらかなので、ほとんど苦労せずちょっとハードな散歩といった感覚で登れる。30分ほど坂道を歩けば、そこはもう頂上なのだ。でもそれなりの疲労と充足感を味わうことはできる。

僕もまたその手軽さゆえにその山に登ることを好んでいた。それで冬のある日、僕はまたその山に登った。しかしその日の天候はまったく山登りには向いていなかった。山登りに限らずどんなことにも適さない日だった。風がほとんど爆発のような音を立てて吹き荒れていたし、しかもその日は特に気温が低く、雪も降っていた。それなのに僕は山に出かけ、銃弾のように顔やコートに叩きつける風と雪に逆らいながら、のろのろと頂上を目指したのだった。どうしてそんな日に僕が山に登ったのか、その理由を説明することは簡単ではないし、その理由はこの短いお話においては問題ではない。とにかくそのひどく荒れた寒い日に僕がその山の頂上にいたという事実にのみ意味があるので、それについては語らないことにする。

途中何度もくじけそうになったけれども、引き返すのも、このまま頂上まで登るのも、同じ苦労だと思ったので、それなら登ったほうが良いと思ったので、何とか頂上まで登り切った。頂上は当然ながら無人だった。こんな日に山に登ろうなんて考える人はいない。眼下の町は灰色の雪と雲に埋もれていて、見慣れた景色が一面真っ白に覆われた様子は多少新鮮ではあったけれども、天候はいぜんとしてひどく荒れていたし、ひどく寒くて震えもおさまらないので、景色を楽しむどころではなかった。もしかしたら僕はこんな近所の小さい山で、遭難して凍死してしまうのではないかと思った。そんなことが現実になったらひどく滑稽だし馬鹿馬鹿しいし愚かである。頂上には小さなあずまやのようなものがあり、僕はその中に入って風雪から身を守り、ベンチの上で膝を抱くようにしてじっとしていた。

しばらくして顔を上げると、山頂の外周をぐるっと囲う柵の上に何か白っぽい動く物体が見えた。その形と色に見覚えがあった。猫の風車だ。僕は目を見張った。いくら神出鬼没で有名だとはいえ、こんな荒れた日にあの猫をこんな山の上で見かけるとは? しかしそれは錯覚ではなく確かに猫だった。猫は吹き荒れる凶暴な風をもものともせずに、尻尾をまっすぐ上に向けて、ひょうひょうと、こともなげに柵の上を歩いていたのだった。僕がしばらくその様子を目で追っていると突然、猫はぴょんと跳ねて柵の向こうへ飛び降りてしまった。思わず立ち上がりあずまやを出て柵のところに駆け寄り柵の下を見下ろした。山の斜面に沿って黒々とした木々が生い茂っている。それらの木々が風にあおられて揺れるほかには何も見えない。
僕は何度か大声で呼んだ。しかし猫が返事をするはずもない。少ししてから、真横に吹き荒れる風雪のさなかに灰色をした小さな影が浮かびあがった。そうだ、僕はその姿を見た。つまり空飛ぶ猫の姿を見た。猫は4本の脚を広げたモモンガのような体勢でくるくる回りながら空中を漂っていたのだった。

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僕は改めて目を疑い、寒さのために意識を失いかけて幻覚を見ているのだと思った。猫はまさしく風車のように回転しながら、そのまま町のほうへ向かってゆっくりと遠ざかっていった。ただ風に流されていただけなのか、それともその身体の回転によってある程度飛行をコントロールしていたのかはわからない。そんなことはわかるはずもない。僕は寒さも忘れて呆然とその様子を見つめていた。猫の姿はどんどん小さくなり、やがて雪と見分けがつかなくなった。
人々はこのことを知っていたのだろうか? だからあの猫は風車だったのか。それともやはり幻覚だったのだろうか……そんなことを考えるうち、また寒さと疲労が戻ってきたので、僕はそれ以上考えるのをやめた。

僕は往路と同じ程度の苦労をして山を下り、命からがら町に帰り着いた。
あの神がかり的猫はちゃんと生きていて、あいかわらず気まぐれに姿を現したり消えたりしながら、人々から可愛がられている。