銀色マーブル

 

1

谷間の土地にはいつも風が吹いている。その風を「銀色の風」と名付けたのは、遠い昔、旅の途中にこの土地を訪れた一人の男だった。その男はその風をたいそうありがたがり、特別なものだとみなした。彼の目には実際に風が銀色に見えていたらしい。土地の人々は男の言うことが理解できなかった。人々にとってその風は特別なものでも何でもない、いつも吹いている当たり前の風だった。当然のことながら色などついて見えない。

男は谷間の土地に家を建てて住みつき、そこにこもって日夜いかがわしい研究に没頭した。どこでどうして身につけたのか、男は錬金術や魔術、秘薬や毒薬の調合の手順などに関するいかがわしい知識を大量に備えていた。銀色の風を利用するために、彼は数年間研究に研究を重ね、そしてついにある新種の物質の開発に成功した。それが現在銀色マーブルと呼ばれて親しまれている物質である。
銀色マーブルを目にし、その効果を実際に体験した人々は、この土地に吹く風が特殊で特別なものであるという男の主張を、ようやく信じるようになった。銀色マーブルは奇跡のような薬物であり、およそあらゆることに効果をもたらす。老化、憂鬱症、更年期障害知能指数の上昇、筋力の増強、さらには枯れた井戸から水が湧き出たり、失くしものが見つかったりするといった効果まで確認された。嘘のような話だが、人々は身をもってその効果を体感したのだという。

男は谷間の土地に銀色マーブルは大量生産するための工場を設立した。それ以来、この土地は世界で唯一の銀色マーブルの生産地として有名になった。

今では人々は自分たちが暮らす土地に特別な風が吹くことを自認しているし、そのことを誇りに思っている。マーブル開発者であるよそ者の男は、とっくに亡くなってしまったが、伝説となって今でも人々から神のように崇められている。男の写真が庁舎の一階のロビーに飾られているのだが、写真に収まった男は、控えめに言って150歳ぐらいに見える。髪の毛が長く、頭蓋骨の形がはっきりわかるほど顔に肉がなく、皮膚には深い皺が刻まれている。その風貌はどことなく伝説の大魔法使いといった趣がある。現在ではその男のひ孫にあたる人物が、マーブル工場の工場長を務めている。

2

銀色マーブル製造の手順は広く公開されて知れ渡っている。

150gずつの火薬と燐に、200枚の魚のうろこと25個の蝶の眼球を混ぜ合わせ、それを熱湯で煮立てたものに、街の東部の森の奥のため池の付近に住むカエルの皮膚を覆う粘膜を加えて、混ぜ合わせたものに一か月間、銀色の風を浴びせる。そうして出来上がったものは「風の涙」と呼ばれる。風の涙をさらにある微妙で不可解な手続きを経て加工したものが、銀色マーブルとして結実する。

町に住むものなら誰でも一度は「風の涙」を作ったことがある。それは時間と手間をかければ本当に誰にでも簡単に作れてしまう。少しぐらい材料に不備があっても、風にさらす時間が数日ほど少なくても、似たものができあがる。そのことは大勢のものが試して知っている。もちろん僕も試したことがある。
調合した材料を谷間の風にさらしたまま、一か月後に覗きに行ったとき、何とも言いようのないまだらな色合いを浮かべていた調合した物質が、銀色の砂のような物質に変化しているのを目にして、誰もが驚くことになる。知らない間に誰かが中身を入れ替えたのではないかと誰もが疑う。その銀色の砂のような物質が「風の涙」なのだ。
その粉末はさらさらしていて、おぞましい材料から出来上がったものとは信じられないほど良い香りを放っている。匂いに包まれると一瞬意識がまどろむようになる。その作用によって、人々はその粉末がまぎれもなく銀色マーブルの原料であることを確信する。

谷間に吹く「銀色の」風がなければ、マーブルは決して完成しない。他のどんな風でも駄目なのだ。他の風ではどういうわけか決して材料は「風の涙」に変化しない。したがってよその土地で作ることはできない。誰でも「風の涙」を作るところまでは成功する。しかしそのあとの工程で挫折してしまう。最後の工程、「ある微妙で不可解な手続き」という部分は、完璧に秘密にされているのだ。その謎を暴くためにいろんな人が様々な犯罪まがいの試みを行ったが、成果をあげたことはなかった。
その「手続き」にはあの魔導士めいた初代工場長の知識が深くかかわっているらしい。一種の魔法なのだと真剣に主張する者もいた。

3

銀色マーブルはその名の通りの色と形状をしている。小さくて丸くて透明でかすかな弾力がある。僕が銀色マーブルについて知っていることといえばその程度のものである。僕はいまだにそれを摂取したことがなく、したがって効果を体感したこともない。この土地に暮らす人間としては、それは異例のことだった。ここでは誰もがみな銀色マーブルを愛好し、神のように信仰している。子供のときから僕はそうした空気になじめなかった。僕以外の誰も、マーブルの存在や効能に疑問を抱いたり、谷間の工場に不信の念を抱いたりする者はいなかった。幼いころから僕はいつもよそ者の視点で周囲を眺めていた。そんな人間はもちろん疎外され、つまはじきにされることになる。僕は人々から存在を黙殺されながら生きた。
僕は進学を機に谷間の土地を離れよその土地で暮らすようになったが、大学2年のときにある神経の病気にかかり、療養のために休学してまたこの土地に戻ってくることになった。その後も病気は快方に向かうことなく、むしろ悪化するばかりで、もはや勉学を続けることは不可能となり、一年後には大学も退学してしまった。それ以来、僕は何もせず家にこもって隠者のように暮らしている。
街に戻ってきてからも、幼いころから抱き続けていた違和感は増大するいっぽうだった。銀色マーブルに対する彼らの信仰は、短い期間とはいえ一度土地を離れてから改めて目のあたりにするとほとんどグロテスクだった。

4

散歩の途中、川べりのガードレールに腰かけ、そこからマーブル工場を眺める。そのあたりではいつもあの「銀色の風」が吹いている。風は谷間に夜も昼も一定の風量で吹き続ける。音を立てるほど強くもなく、しかし吹いていることは確かに感じられる、といった程度の風である。僕は何度もその風を浴びたが、どう考えても何の変哲もない風だった。湿り気を帯びているとか不思議な香りがするとか、普通でない音を立ててるとか、そうしたことは一切ない。そしてもちろん銀色にも見えない。
工場の壁面に大きなイラストが描かれていた。手のひらに乗せた銀色マーブルを見つめる少女の横顔を描いた絵で、少女は頬を膨らませてそれに息を吹きかけている。ひそかなその吐息は途中から銀色を帯び、そのまま谷間に吹く銀色の風へと変化する。そのさまを幻想的に描いたイラストだった。
屋上には巨大な箱型の機械が設置されていて、その姿は外からも見える。巨大な黒い箱のようなその機械が、谷間に吹く銀色の風を取り込んで材料を加工するらしい。その機械の原理については部外者は誰も知らない。しかしその機械こそが「科学と魔法が融合した不可解な手続き」の重要な部分を担っていることは確かだった。
工場内部では労働者たちが機械のように黙々と働いていた。塀も壁もなく、シャッターいつもは開いているので、彼らが働く様子は外からも見えた。「機械のように」というのは、無個性的で従順な、という意味のたとえではない。彼らの風貌は、文字通りにそれこそ大量生産のロボットのように、著しく似通っているのだ。聞こえるのは様々な設備が作動する音ばかり、誰も声をあげず、足音さえ立てない。そして労働者たちは自らの仕事に迷いなく、滞りなく没頭している。誰もが自分がやるべきことを正しく把握してその作業に集中している。手持無沙汰にしている人は一人もいない。見れば見るほど本当にロボットなのではないかという思いが強まった。
その作業風景にはどこか明らかに不自然な、ひどくひねくれた何かがあるような気がしたが、そんな印象がどこから来るのか、毎日長い時間眺めても、僕にはわからなかった。

僕はシャッターをくぐって工場の中に入った。工場の見学は許されている。人々は誰でも自由にそこに出入りすることができるのだ。労働者たちは僕に全く注意を向けずいつものように静かに働いていた。彼らのうちの誰が責任者に当たる人物かわからなかったので、僕は一番近くにいた人物に声をかけた。工場長に会わせてほしい、銀色マーブルの製造工程について詳しいことを知りたい、と僕は伝えた。
予期していたことではあったがその人物は僕を無視した。完全に無視して作業を続けていた。その作業が何を目的に行われているのか、間近で見てもまるで理解できなかった。僕の目には彼は遊んでいるようにしか見えなかった――というのもその作業員がやっていたのは、色とりどりのガラスの破片みたいな部品を、平たい台の上でパズルみたいに組み合わせる、といった作業だったから。僕も「風の涙」を作ったことがあるが、そんな工程はなかったはずだ。
僕は別の男に話しかけてみた。その男は細い鉄線を直径20センチほどの輪の形にする、という作業を行っていた。男の指は無駄なく器用に動き、ほんの2秒ほどで輪っかを完成させた。作業机には同じ形の輪っかがいくつも積まれている。やはり僕を無視している。男は仕事に集中し、しかもその作業を楽しんでいるらしい。そのことはそばにいると伝わってきた。
労働者たちは誰もみなそれぞれの仕事に没頭していた。彼らの様子は僕が現れる前と後とで何も変わらなかった。不当な闖入者である僕に対してひとかけらの興味も示すことなかった。僕はただの異物として、労働者たちが作る目に見えない線の外側にひとりで立ち尽くしていた。
屋上を案内してもらえないだろうか、と僕はまた別の男に尋ねた。その男は、やはり表情も光もない目でちらと僕を見たが、ついてくるように、という意味の仕草をしながら歩き出した。僕は彼について階段を上がる。男が鍵を開け、我々はドアをくぐって屋上に出た。
四角い屋上の中心に例の巨大な真っ黒な箱型の機械が置かれていた。それは支えるものもなくコンクリートの地面にそのままべたんと設置されていた。近づくと、その機械は細かく振動しながら、鳥の羽ばたきのような音を立てていた。スイッチとかレバーとかそうしたものは見当たらない。ただの無味乾燥な黒い箱である。表面はのっぺりしていて、わずかなつやさえない。
僕が手を伸ばして機械に触れようとすると、隣に立っていた男が即座に制止した。男は僕の手首を掴んだのだ。それほどの力が込められているわけでもなく、掴む以上のことは何もしなかった。しかし僕は手首を掴まれたとたん、どうしようもなく怖気づいてしまい、逃げ出したいような気分になった。男の手を通じて伝わってきたのは暴力の予感のようなものだった。それも不良の喧嘩みたいな粗雑な暴力ではなく、中世の拷問のように残酷で知的で救いのない暴力。僕は文字通りその場に凍りついてしまった。
男は僕の目を覗き込んでゆっくりと首を横に振った。僕はただ無言で頷くことしかできなかった。
屋上から降りて、僕は男に礼を言った。彼は無言だった。

帰り道、これまでにも何度も生じたある疑問が、また頭に浮かんでいた。全ては冗談のようなものなのではないか、あの馬鹿げた大きな工場の内部で演じられているのはただの大げさなごっこ遊びのようなものなのではないか? あの百年前にふらりと現れたという魔術師めいたいかがわしい男に、みんな騙されていたのに違いない。谷間の土地にだけ吹く銀色の風、よく考えてみればそんな風など存在するはずはないのだ。伝説の大魔法使いめいたあの男は、やはりただのペテン師だったのだ。
でもそうだとしたら、と僕は思う。そいくら猜疑心に乏しい田舎町の人々とはいえんな大それたペテンに、一人残らず手もなく騙されてしまうなどということがあるだろうか。そしてペテンだとしてもあの銀色マーブルという物質は現実に存在している。僕はそれに手を触れたことさえあるのだ。原料である風の涙を作ることだってできた。それはあの風が確かに「銀色」であることを裏付けている。他の風では同じものができないことも僕は確かめたことがある。
あの黒い箱に近づいてもっと調べてみたたいと僕は思った。しかし手首を掴まれた時のあの気分を思い出すたびに、恐怖がよみがえり、何をする気も起きなくなる。胸の中でわけのわからない疑念や感情が渦巻いて気が狂いそうになり、そして神経の病気はまた悪化するのだった。

5

ある日の午後、僕はひとりで崖の頂上に立っていた。そこから工場を見下ろすと、例の屋上の真っ黒な箱型の機械が小さく見える。真上から見てもそれはやはりただの箱にしか見えない。崖の上にも風が吹いていた。僕は草むらに腰を下ろして夜になるのを待った。ときどき屋上に人影が現れたが、彼らは機械には見向きもしない。ただ柵に手をかけてぼんやりしたり、煙草を吸ったりしていた。
夜間には工場は閉ざされる。そのことは何度も確かめたので知っている。夜には工場の周辺からは全ての音がついえ、人も車も通りかからない。
真夜中を過ぎて、あたりが完全に闇に包まれても、僕はなおも待った。時計が午前2時をさしたとき、ようやく僕は動き出した。夕方まではときどき機械が作動する音が聞こえてきたが、いまでは何の音もしない。あたりに虫の声が響くばかり、ほとんど完全な静寂に包まれていた。建物のシャッターは閉ざされ、構内に設置された小さなのライトがいくつか灯っているだけだった。
僕はがっしりした木の幹に縄を括り付け、それを自分の身体にチェーンで固定し、崖を下りはじめた。傾斜は急だったが、高さはそれほどでもなかったし、それまで何度となく練習を行っていたので、すでに慣れていたし、さほどの苦労もなかった。
斜面から屋上の柵に手がとどくところまで崖を下ると、手を伸ばして柵を掴み、建物に乗り移った。屋上の地面に降りた後、あらためて耳を澄ませたが、やはり音はしない。機械の音も、人の声も足音も聞こえない。もっとも、もし労働者たちが今も構内で働いていたとしても、あの物静かな人々の気配を感じることはできなかったかもしれない。
僕は箱型の機械に歩み寄った。それが作動しているのかはわからなかったが、少なくとも見学の時に聞いたあの羽ばたきのような作動音は聞こえなかった。物体には取っ手もなければ蓋もなく、コードやプラグが下部から飛び出ているわけでもない。押したりひねったり、引っ張ったりつまんだりできそうな部分がどこにもない。手がかりというものがまるでないのだ。ひたすらのっぺりした無味乾燥なずんぐりした四角い物体でしかない。どのように働くのか想像もつかない。単なる置物とか、どこかの芸術家の手による造形作品だと考えたほうが、よほど納得できる気がした。
そのとき突然誰かが僕の肩を掴んだ。分厚く重い手だった。同じ手だ、と僕は思った。前に見学したときに僕の手首を掴んだのと同じ手だ。同じ人物の手だ、という意味ではない。あの男と同じ性質を備えた誰かの手だ、と僕は思った。屋上は先ほどまで明らかに無人だったはずだ。そのことは何度も確かめていた。防犯カメラのようなものは、僕が観察する限りではないはずだった。だから僕は安心していたのだ。足音も聞こえなかった。いったいいつ背後の人物はやって来たのだろう。
手は力を強めるわけでもなく、ただずっと僕の肩に置かれていた。僕の身体は氷のようにこわばっていた。振り返ることさえできなかった。すると足元のコンクリートの地面に、輪郭のぼんやりした影がいくつも浮かぶのが見えた。一人ではないのだ。たくさんの人間が背後に立っているらしい。肩を掴んでいる人物のほかにもそこに大勢の人間が並んでいる。彼らの影が地面に映じていた。やはり彼らは夜中にも工場にいたのだろうか?

まだ手は僕の肩に置かれていた。耳元で声がささやいた。僕はそれにこたえて、わけのわからない言葉を口にした。支離滅裂な、理屈に合わないでたらめな言い訳のような言葉だった。僕の思考能力も肉体と同じように凍りついていた。それにそもそも、僕は謎の人物のその声がろくに聞き取れていなかった。
僕の返答は闇に吸い込まれ、背後の人の群れが無言で忍び寄ってくる気配がした。いつしか僕の身体はたくさんの手によって担ぎ上げられていた。僕は悲鳴を上げることすらできず、なすがままになっていた。
そのあと彼らが行ったのは、実に乱暴で大雑把で、僕という人間を、僕の人格をないがしろにするような行為だった。つまり彼らは僕を担いで屋上の端まで行き、すぐ下の廃材置き場に向けて、僕を放り投げたのだった。高さはおそらく10メートル近くあった。僕の身体は鉄のかたまりや木片やプラスチックの欠片や、そうしたものが積みあげられたがらくたの山の上に叩きつけられた。そのまま僕はその山をがらがらと下方へ滑り落ち、ある地点で何か固い出っ張りのようなものに引っかかって止まった。ねじれたような変な姿勢のまま、僕は全身に激しい痛みを覚えて動くことができず、目を閉じてじっと痛みに耐えていた。

そしてどういうわけか、再び目を開けたときには辺りは明るくなりかけていた。時間が抜け落ちてしまったみたいに感じたが、どうやら僕は眠っていたらしい。ごちゃごちゃした廃材に身体を引っ掛け、全身に痛みを覚えながら、僕は眠っていたのだ。神経を病んで以来たびたび不眠に苦しめられていたのに、こんな異様な状況下で眠ることができたことが信じられなかった。
尖ったものや硬いものが身体のあちこちに触れていた。身をよじると、脇腹と肩のあたりに強い痛みを感じた。おそらく骨は折れているのだろうが、身動きできないほどではなかった。そして少なくとも生きてはいる。あんな高さから放り投げられ、がらくたに衝突して怪我をしながらも、まだ生きているのだ。そのことについて何かに感謝を捧げたい気分になった。
廃材置き場の外に出た。すぐそばでは工場の建物の四角い影が明るくなりかけた空を背にして化黒々したけ物のように浮かび上がっている。そのとき僕は新たな疑問に襲われた。ただマーブルを生産するだけの工場から、なぜあんなたくさんの廃材が排出されなくてはならないのか。それについて考えようとしたが、頭はろくに働かなかった。考えようとすると頭がぐらぐらして、呼応するように全身の傷も痛んだ。僕は背を向け、身体を引きずるようにして歩き出した。

帰宅したとき、家族は僕が大怪我をして帰ってきたことに驚きはしたが、特に理由を尋ねたりはしなかった。肋骨が折れ、肩の骨にもひびが入っていた。その程度の怪我で済んだのはおそらく奇跡なのだろう。彼らは怪我の治療のために銀色マーブルを勧めたが僕は拒絶した。
僕が夜中に工場に忍び込んだことについて、おそらく連中は警察に通報しているだろうと僕は考えていたのだが、何日経っても警察官はやってはこなかった。

6

数か月後に怪我が完治してから、僕はマーブル工場の求人に志願した。履歴書を送りつけたのだが(ところで履歴書にはほとんど何も書くことがなく大部分が空白だった)どういうわけか封筒ごとそのまま送り返されてきた。料金は足りていたし、宛名にも不備はなかった。不採用の通知が同封されているわけでもなく、ただ返送されてきた。
僕は封筒と履歴書を二つに裂いて捨て、その後数日間何もせずに眠って過ごした。

今では人々は僕をまるでいないもののように扱っている。人々は僕に視線すら向けない。どこかの店に入っても、店員は終始無言である。幼いころから僕の周囲に立ちはだかっていた壁は、より堅牢さを増して僕を取り囲んでいる。

もうあの工場に近づくことはないし、銀色マーブルのこともめったに考えなくなった。人々は今も神を崇めるように銀色マーブルをありがたがっている。