君にあげる


影は道路の上に長く伸びている。やがて高い足音が聞こえてきたので彼は動き出した。物影からいきなりにゅっと現れた彼の姿に、女は驚いたらしく、ひゅっと息を吸い込む音をたてた。目の前に立った彼の姿を、女は不審そうな目つきで見上げる。彼は、自分の姿はそれほど怪しくは見えないはずだ、と考えていた。身に着けているスーツは真新しいし、髪の毛はこの間切ったばかりだし、靴も清潔にしている。おそらくサラリーマンにしか見えないはずだ。

「君にあげたいものがあるのです」彼は言った。「そのために待っていたのです。受け取ってくれますか」
彼女は何も答えない。一歩だけ後ずさりをした。
きっと気に入ると思います、と言って、彼は手にしていた小さな箱を、女のほうに差し出した。女は表情を硬直させたまま、さらに数歩あとずさった。そのあとしばらく、彼女は迷うような様子を見せていたが、やがて意を決したように彼に背を向け、来た道を駆けていった。

彼はそのあとも長らくその場に立ちつくしていた。

女は逃げてしまった。でも必ず彼女は再びこの通りに現れるはずだ。彼女が自宅のアパートに帰るためには、必ずこの道を通らなければならない。そのことを彼は知っている。彼は待つことにした。これを渡さずに帰るわけにはいかない。

いきなり背後から声を掛けられて、振り向くと女が立っていた。それはいま逃げていったのとは別の女で、彼が見たこともない女だった。あまりに小柄なので最初は子供かと思ったが、顔だちから判断するとどうもそうではない。肌がたるんでいて皺は深い。思いのほか年老いている。
久しぶり、待ってたんです。あの………などと、女は言ったように思う。

彼は無視して歩きだした。怖ろしいもの、不気味なものには、普段から彼は一貫して関わらないようにしている。それにしても計画は台無しになってしまった。たとえ朝まででも彼女を待つつもりでいたのに、あの変な女に邪魔されてしまった。……彼はそのことを残念に思った。