灰色の川について

彼の家の外壁と塀との間には、幅30センチほどの狭い隙間があって、そこには雨が降ると水があふれる。彼はそれを個人的に灰色の川と呼んでいた。コンクリートの地面も家の壁も塀もすべて灰色なので、水が灰色に見えるのだ。雨の日に窓辺にたたずんで、その小さな流れを見つめていると、まるで自分が巨人になって、本物の川を高い視点から見下ろしている気分になる。彼はその感覚が気に入っていた。

ある日妻が、いい加減あの水があふれるのをなんとかせんとねえ、と言った。それはつまり遠回しに彼に向けて、業者を呼んで排水設備を修理してもらうことを提案していたのだった。そこで彼は、灰色の川について妻に話した。巨人になって川を見下ろす気分についても語った。そうしたことを妻に話すのは初めてだった。しかし残念ながら妻は彼の話にまるで理解を示さなかった。彼女はリアリストで地に足がついた考え方の持ち主であるし、そのうえ雨がさほど好きではない。面白くもなさそうにため息をつき、そんなことはどうでもいいんやけど、と言って、現実的に話を進めた。

そんな風にあっさりと片づけられてしまい、彼は悲しかったが、妻の言い分がまっとうなのは認めなわけにはいかない。いつまでも排水設備が不調なままなのは問題だ。そのせいで家の庭は、いつもどことなく湿ってじめじめしているのだ。彼は名残惜しく思いながらも提案に同意した。

次の日には業者がやって来て、排水設備は修理された。雨が降っても家の周りに水がたまることはなくなった。あの灰色の隙間を、雨水はただ静かに、穏やかに流れてゆく。そこに以前のようなダイナミズムはもはやなく、川にたとえることなどとてもできない。雨が降るたびに彼は灰色の川のことを思い出して、どことなく切なくなってしまう。

あんたはさ、夢想と戯れすぎなんよ。いつまでもそんなんじゃあいけんよ、子供やないんやけえ………巨人になった気分について話したとき、妻はそう言った。彼は不満だった。ほとんど怒りを覚えてもいた。妻の意見そのものよりも、その言葉を口にしたときの言い方が気に入らなかった。まるで笑いをこらえるような口調で、心底馬鹿にしたみたいな口調で、妻はそれを言ったのだ。その響きが、雨の日にはしょっちゅう耳によみがえるようになって、それは彼にとって結構不愉快だった。