雨の公園

長崎に旅行したときに買った一輪挿し。娘はそれがお気に入りみたいで、しょっちゅう眺めている。彼女はガラスとかビー玉とか透き通ったものが好きらしい。それ、ユイにあげようか、と僕が言うと、娘は目を輝かせて僕を見上げ、本当、と言った。本当だよ。あげるよ。そんなに気に入ったんなら。
ユイはひとしきり喜び、僕の首に抱きついてきた。彼女は幼いのにどこで学んだのか、そういうアメリカ人みたいな仕草を時々する。その勢いで、ユイの腕が当たって窓枠の上の一輪挿しは倒れて、床が水びたしになった。それで僕らはしばらくその片づけをした。娘はそれなりに悪びれた様子だったが、床を水浸しにしてしまったことよりも一輪挿しが割れずに無事だったことを喜んでいるらしく、ほとんど笑っていた。娘は濡れたカーペットと壁をティッシュで拭いていたが、突然その作業に飽きたみたいに手を止め、ねえ、どっか行かんの?と言った。僕は花を一輪挿しに元通りにおさめ、でも雨だからなあ、と言った。すると娘は、そうよ、だから早く行こうよ、と言った。
つまり娘は雨降りが好きなのだ。レインコートとか傘とか長靴とかそういったものを身に着けて雨の中を出かけて水びたしになるのが好きなのだ。だから、雨だから遊びに行こうという一見矛盾した提案が出てくる。
仕事が終わったらね、と僕は言った。じゃあ、ちゃっちゃと終わらせてよ、と娘は言って、廊下をパタパタと駆けてどこかに消えて行った。
椅子に座り、コンピュータのディスプレイを見つめる。娘にはああ言ったものの、やるべき仕事など実際はもうほとんど残っていない。数分ほど、僕は意味もなくマウスを動かしたり、画面を切り替えたりした。部屋には雨音が響いていて、それは大きくなったり、そうかと思えばほとんど聞こえなくなったりする。窓の外の空は雲に覆われて、その色は灰色というよりほとんど黒ずんでいて、もっと激しく降りだしてもおかしくない感じだった。そうやってしばらくぼんやりするうち、僕は、そうだ、今日のブログは雨について書こう、と思った。雨にまつわる思い出話、いや、それとも雨をテーマにした適当な作り話、あるいは単に、雨の中で遊ぶ娘のことを書こうか……また娘が部屋にやって来て、早く行こうとせかした。それで僕らは出かけることになった。

娘は水色のレインコートを着て長靴を履き、僕は傘をさして、並んで歩く。途中娘は水たまりを見かけるたびに長靴でそれを踏み、ひとしきり水と戯れて遊んだ。特に気に入った水たまりからは何分も離れない。だから目的地になかなかつかない。ユイは僕にも水たまりに入るよう勧めたが、僕は長靴を履いていないのでできなかった。でも確かにその遊びは楽しそうで、見ていると僕も同じことがやりたくならないわけでもなかった。子供の頃は僕も同じことをやった。それに僕の子供のころは、家の前の道路は舗装されていない砂利道で、つまり水たまりはふんだんにあった。その話をすると、ユイはうらやましがった。たくさん水たまりがあって楽しそうだと言うのだ。でもそんなに良いものではなかった。泥だらけになるし、車で走るとタイヤが地面のくぼみにはまってがたがた揺れる。

雨の公園は無人だった。ユイはそこでもやはり水たまりに入って遊んだ。全部の水たまりを征服するんよ、と娘は言った。聞き間違いかと思って一度聞き返したのだが、彼女は確かに「征服」という言葉を使った。もっとも彼女の言う征服とは、そこにあるすべての水たまりに足を踏み入れる、といった程度のことである。ユイは楽しくて仕方ないらしくしきりに悲鳴みたいな笑い声を上げる。その様子を見ていると、またしても僕はちょっとやってみたくなる。それにしても、最後に長靴を履いたのは、いつのことだっただろう?……僕は遊ぶユイの姿をスマートフォンのカメラで撮影した。
公園のそばには線路が通っていて、電車が通りかかるたびにユイは立ち止まり、乗客に向けて手を振っていた。娘に促されて僕も一緒に手を振った。何人かの乗客が手を振り返してくれた。雨はひたすら降り続いていた。そしてユイは最終的にすべての水たまりを征服した。つまりすべての水たまりを踏んだのだった。でもそれほど広い公園でもなかったのでそれはわりとすぐに終わった。夕方前に僕らは帰宅した。