魔法使いの木

ただの枯れ木だと思っていた庭の木が最近、急に実をつけるようになった。そしてその実は明らかに普通ではない。形も色も味も異なるいろんな実が、何種類も、季節を問わず一年中実をつけるのだ。「実」というものは丸い形をしているものだと僕は考えていたのだが、その木になるのは丸いものばかりではない。四角だったり三角だったり、あるいはもっと複雑な形だったりする。色もまたさまざまで、黄色や赤といった比較的平凡な色をしたものもあれば、言葉では表現しようもない、まるでオーロラのような色彩をたたえた実もある。そのバリエーションの豊かさは驚くほどで、全部で何種類の実がなるのか、いまだにわかっていない。
百科事典やインターネットでどれだけ調べてもそんな奇妙な木の例はみつからなかった。それならこの木はまさか、世界でこの庭にしかない木だとでもいうのだろうか?

その木を魔法使いの木と名付けたのは、現在僕が一緒に暮らしているパートナー的な存在の女である。魔法のようにいろんな実をたくさんつけるから、という理由らしい。さらにその木のシルエットがどことなく(彼女が思い描くところの)魔法使いの姿に似ているから、ということでもあった。そして彼女は、その木になる実は全部好きなのだと言った。どんな形や色をしていてもおいしいのだと言って、実際に実をつけたそばから、摘み取って食べまくっている。彼女はそういうどこか執拗な性格をしている。僕も彼女に促されてこれまでかなりの種類の実に挑戦してみた。でもそのほとんどは口に合わなかった。いくつかはおいしいものもあった。僕が一番気に入ったのは青くて丸い実で(それは文字通り海のように真っ青)、それはとてもおいしい。ちょっとほかの果物や木の実では代用がきかないほど、独特な味をしていて、一口食べて虜になってしまった。あと他に好きなものは1つか2つある。四角くてはんぺんみたいな触感をした実は、滑らかで口当たりはよく、味も甘くてまあそこまでは悪くなかった。よほど空腹のときなら食べてもいい、という実なら、もうあと2、3種類はある。でもそれ以外はすべて僕にとって不要なものだった。ヒトデみたいな形をした緑色の実などは、口に入れた瞬間に吐き出したくなった(彼女がそばにいた手前、吐き出しはしなかったけれど)。
彼女はそんな僕の味覚をおかしいと言った。彼女は魔法使いの木になる実なら全部好きだと繰り返し僕に主張したし、その言葉は紛れもない本心だった。僕が嫌いな実を彼女がいかにもおいしそうに食べるところを見たことはある。彼女は自分の家に魔法使いの木が生えていることを心から幸運なことだと思っている。

しかしおかしいのは彼女のほうなのだ。残念ながら。僕は確信している。結局のところ、彼女は木の実というものに対して、救い難いほど無知なのだ。無知だから見分けがつかなくて、だからどれも素晴らしいものだと思い込んでしまっているのだ。木の実に対する批判精神のようなものが皆無なのだ。そういうことを僕は彼女に言ったことはない。彼女を納得させることはおそらく不可能だろう。それは彼女という人間を否定することになりかねない。彼女の人格のうちの相当重要な部分を、その木になる実が全部好きなのだと信じることが、担っている。その木になる実が全部好きだと信じることによって彼女は自らの存在理由を確認している。大げさでほとんど滑稽に聞こえるかもしれないが、本当にそうなのだ。

――好きな実を一種類だけつけてくれる木があれば、僕はそれでいいんだよ。いろんな実をつける木なんていらないんだよ。そんな言葉が喉元まで出かかったことはあるが、口にしたことはない。そして彼女はそんな意見に絶対に同調しないだろう。庭には他に木は一本も生えていない。いやまてよ、そういえば住み始めた当初には、もう一本木があった。急に僕はそのことを思い出した。そうだ、塀の角の所に、冬になると実をつける柚子の木が生えていたはずだった。その実の眩いほどの黄色が目の中に一瞬よみがえった。ヒヨドリがよく庭に落ちたその果実をつついていた光景も、ついでによみがえってきた。僕は季節が巡るたびに、毎年実をつける柚子の木を見上げながらしばしば、自然というのは偉大なものだと感じたものだった。どうして今まであの木のことを忘れていたのだろう?そのことについてなぜか罪悪感を覚えた。そしてあの木はいったいどこに行ったのだ。誰がが僕の知らない間に、切り倒してしまったとでもいうのか?

「そんなのもういいじゃない、あの魔法使いがいるんだから」隣で彼女はのんきに言うのだった。彼女が指さした先には、季節に関係なくたくさんのカラフルな、いろんな形の実を枝からぶら下げるあのいかがわしい木が、静かにそびえている。一瞬僕の目にもその樹影が魔法使いめいて見えた。黒いローブを身に着け三角帽をかぶった、おとぎ話に出てくるような魔法使いの老婆が、両手を大きく広げている姿が、その木と重なって見えたのだった。しかしそれはあまりに子供っぽい想像だったので僕は頭を振ってそのイメージを追い払う。彼女はさっき摘んだばかりの赤い実をおいしそうに、嬉しそうに食べている。