不死なる太陽

それは静かな町だった。引っ越して最初の日曜日の午後、僕は娘と息子を連れて散歩に出かけた。ただでさえ静かな街は普段よりさらに静まり返っていた。車は一台も通りかからず、通行人もいない。近所中が一斉にどこかへ出かけてしまったかのようだった。ある家の前の花壇に、青や白や黄色の花々が並んでいて、風に揺れるその影がクリーム色の壁面に映っていた。僕はなぜか人類が死滅してしまったあとの地球を想像した。人間が残らず死滅してしまったあとでも、太陽だけは変わることなく地上を照らし、あちこちに影を生じさせるのだろう。花々の影はまるでそんな滅びた後の地球の一角に一人きりでいるような気分にさせた。
あそこになんかおる、と息子のケイが言って、僕は彼が指さした先を見た。塀で覆われたマンションの敷地の一角に、庭のような空間が設けられていて、そこには池があり、そのそばに首の長い白い鳥がしゃがんでいる。
ヒルだよ、と僕は言った。このマンションで飼っているんだろうね。
娘と息子は足を止め柵越しにアヒルを見つめていた。アヒルの小さな黒い目はねむたげに半分閉じている。寝てるん?と娘のユイが言って、たぶんね、と僕は答えた。じゃあ起こしちゃ悪いね、と娘は言って、それで僕らはアヒルを起こさないようにそろそろとその場を去った。太陽が死ぬのは数十億年も先のことらしい(僕はまだ太陽のことを考えていた)。数十億年という時間は、人間の寿命と比較したらほとんど永遠のようなもので、つまり我々にとって太陽とは不死も同然の物体であり、永遠にそこに存在するものと認識したところでさほど間違っていない。
振り向くと例のアヒルはまだ同じ場所でじっとしていた。遠くから見るとそれは生き物ではなく白い薄い紙を何枚も重ねた物体に見える。

そのあとは公園に行った。公園には誰もいなかった。キリンの形をした椅子があって、息子のケイは、それを目にするや否や何か叫びながらそれに向かっていきなり駆け出した。その椅子は根元がスプリングになっていて、乗ると揺れるようになっている。ジャングルジムもあったが、それはところどころ錆びていて老朽化が激しいためか、使用禁止の札が張られロープでぐるぐる巻きにされていた。滑り台もあって、それは使用禁止ではなかったので、娘はそれで遊びはじめた。やがてケイもキリンの椅子から離れて滑り台に参加した。二人はきゃあきゃあ言いながら階段を上っては滑り降り、同じことを飽きもせず何度も繰り返していて、僕はそばでその様子を眺めていた。しばらくそんな風に時間を過ごしていると、母親と4歳ぐらいの男の子が公園に現れた。その男の子は公園に入るなり駆け出して、ユイとケイのほうに近寄ってきた。彼らはもちろん友達同士でも何でもないはずだが、僕が戸惑うほどあっという間に打ち解けて、一緒に遊びはじめた。男の子の母親が挨拶をして、僕も挨拶を返した。でも特に言葉を交わすわけでもない。


夜になると、家のまわりは昼間よりさらに静かになった。「静かだね」「静かね」そんなやりとりを妻と何度か行った。前に住んでいた場所がいかに騒音に満ちていたかを知った。「気がつかんやったわ。ここに来るまで。あそこ駅が近かったもんね。今思うと夜中でも絶えず何かの音が鳴ってたもんね。でももう慣れちゃって、あの音をほとんど音とは認識してなかったんやね」と妻は言う。
静かなのはいいことだよ、と僕は言ったが、でもあまりに静かなためかなぜか胸騒ぎがして、その夜はなかなか寝付けなかった。