下関にも野良猫はいる

細い側溝の中に白猫がいた。猫はしばらくそこに隠れていたのだが、やがて溝から出てきて、僕のすぐ目の前をゆうゆうと、堂々と横切って、そばの空地へと入って行った。ところでその空き地は今でこそ何もない更地だが、つい数日前まで、何か建物があったはずだ。さっきから考えているのだが、それがどんな建物だったか、どうしても思い出せない。でもこの街においてはこういうことは珍しくない、つまり昨日まで建物があった場所が今日空き地になっているといったことは。そして猫はいつのまにかどこかに消えてしまっている。

僕はまた歩きだした。ところで最近、ただでさえ坂が多いこの街にまた新しく坂が増えた。バイパス道路を建設するために、それまで平坦だった歩道がつぶされて、起伏のある新しい歩道ができたのだった。坂が多くてしんどいから、僕はもうめったに自転車に乗らなくなってしまった。お年寄りは歩くだけでも大変なのではないだろうか。しかもそのバイパス道路は、もう2年以上も工事をしているのにいまだに完成していない。行き当たりばったりの、想像力を欠いたこの都市計画、もしかして連中はわざとやっているのだろうか?何にしても許しがたい。いずれ僕が市庁舎を爆破する日が来るとしても、あまり怒らないでほしいものだ。

丘の上には霊園があって、そこへ至る細い道路沿いには井戸がある。僕は通りかかるたびにいつもついその井戸を覗き込んでしまう。町中で井戸を目にすることはあっても、たいてい埋められていたり、人が落ちないように厳重に蓋をされているものだが、その井戸はむき出しで野ざらしにされているのだった。穴はぞっとするほど深くて暗く、覗き込むたびにいつも冷ややかな気分になる。現代の生活からはまず失われてしまった種類の闇がそこにある。

墓地へと続く階段を上る。僕は別に墓参りに来たわけではない。そもそもこの霊園には僕の一族の墓はない。つまりまるで縁もゆかりもない場所なのだった。天気の良い初秋の午後、何かに誘われるように、僕は墓地へ足を向けていたのだった。
霊園は広く、ほとんど迷路のようだった。丘の上なので見晴らしは良い。南東側からは関門海峡とその上に架かる大きな橋が見えた。かすかな風が吹いて、海と空は透き通って青く、あたりは静かだった。日差しを浴びて墓石が白っぽく光っている。僕は段差に腰かけて橋の上を走る自動車の列を眺めていた。僕はときどきそうやって墓地で時間を過ごす。墓地というのはいいものだ。たいてい人けはないし、スズメの親子を観察したりもできる。

帰り道、さっきの猫をまた見かけた。猫は空き地から出てきて、最初にいた溝にまた入り込もうとしていた。