みんなから嫌われ疎まれる新しい住居

このたび引っ越しをした。家を安く購入したのだ。安かっただけあってひどく古い。信じられないほど古くて、築年月は、正確には不明だが仲介業者の話ではおそらく大正時代だということだった。僕は大正時代のことなど考えたことがない。一階建ての平屋で、狭い庭のようなものがいちおうある。隣には二階建ての比較的まともな家が建っていて、家の裏口はせりあがった道路を支えるコンクリートの白い壁面と向かい合っている。狭い一角に押し込まれた哀れな小動物のように、家は暗がりにうずくまっているのだ。一応大都市の一角に位置しており市街地へのアクセスも良く、広さも平均的なアパートよりは広いが、驚くべきことに風呂がなかった。どうして風呂のない家が現代に存在しているのか、そんなものが売りに出されているのか、理解に苦しんだ。

なぜそんな家を買ったか?それは僕には選択の余地がなかったためである。その前に住んでいたアパートを事情によって追い出されることになり、しかし新しく賃貸契約を結ぶことが、年齢的・職業的・収入的な問題で不可能に近く、頼れる親類もなく、ほとんど路頭に迷う寸前だった。でも安い家であれば、一括で払ってしまえば審査も保証人も必要ない。それで不動産屋に行き、最も安く買える家を紹介してもらったところ、それがその家だった。選択の余地がないというのは、ある意味では便利である。あれこれ悩んだり迷ったりする必要がない。ほとんどの選択肢は最初から阻まれている。僕はその家を選ぶしかなかった。風呂がなくても受け入れるしかなかった。住む場所がなくなるよりはましだった。大昔の人はろくに風呂になどはいらなかったのだ、と考えて自らを納得させた。でもいちおう近所に銭湯はある。

劣悪な環境だとしても、自分の家を持つというのはいいものだった。そこにはアパート暮らしにはない解放感のようなものがあった。確かに何かから解き放たれたという感じがしていた。その何かとは、できればこの先一生関わりたくない何かだった。どんな環境にでも慣れることができるという言葉は真実であるらしい。住みはじめるとそんな家でも意外に快適だった。

でも数か月が過ぎ、この家はまだ想像もしなかった問題をはらんでいたことを知った。この家はある種の人々の神経を刺激するらしい。前述のとおり、家はコンクリートに支えられた高い道路の下にあるのだが、その歩道を通りかかる人々はしばしば、家に向けて物を投げつけるのだ。何度も私はそのさまを窓から目撃した。彼らは家を目にするやいなや足を止め、いかにも憎々し気なつきで家を睨み、手近にあった硬いものを投げつける。いずれも知り合いでも隣人でもない私とは縁もゆかりもないただの通りすがりの通行人だった。ランドセルをしょった子供から、70歳ぐらいの老婆まで、年齢も性別もばらばらだった。投擲物はいつも屋根に当たった。角度的な問題で屋根にしか当たらないのだ。もしそうできるのなら彼らは窓ガラスや壁を狙ったに違いない。ただでさえ古い瓦屋根はさらにボロボロになり、穴が開いて雨漏りするようになった。
それにしても物を投げつけるときの、彼らのあの顔つきたるや!誰もが憎悪に顔を歪めていた。普通の社会生活においてはまず見かける機会のない表情である。でも私には見知らぬ人々から憎しみを買う覚えなどなかった。通りすがりの小学生が、あるいは老人が、どうして私を憎むというのか。ということはやはり家のせいなのだ。彼らはこの家を憎んでいる。

あるとき家に人を招いた。それは古くからの友人で、穏やかで温厚な人物であり、これまで彼とは口論一つしたことがない。そんな友人が、新しい住居に招き入れた途端に、顔をしかめ、ひどく気分を害したような荒っぽい態度をとるようになり、言葉つきもどこか刺々しくなった。脈絡もなくあからさまに彼は私の性格や人生への向き合い方などを、非難しはじめた。
文字通り人が変わったようになってしまい、私は彼のそんな態度を見たことがなかったのでかなり驚いたのだが、彼のような人格者でさえ豹変させるこの家の魔力のようなものに、感慨深い思いを抱いてもいた。