白い部屋での一夜

部屋には香水と化粧品と何か花に似た香りが混じりあっている。家具も何もかもすべて漂白されたみたいに真っ白で、いつ来てもかまくらの中にいる気分になる。でも僕はかまくらになど入ったことはない。そんな部屋でその夜、僕はナナタンの手料理をごちそうになった。じゅうじゅうと音を立てて焼き上がったステーキに玉葱とにんにくのソースをかけ、湯気を立てる白いご飯といっしょに食べていると、ナナタンがだしぬけに、あなたって何の不満もないみたいね、奥さんにも家庭にも、仕事にも私生活にも何の不満もないでしょ、とても幸せそうに見えるわ、と言った。それはもしかしたら皮肉かもしれなかったが、せっかくなので額面通りに受け取ることにした。人にそんな風に誉めてもらえる機会というのは少ない。

僕は夜中まで彼女の部屋で過ごした。僕は彼女の書棚から本を取り出して読んでいた。知らない作家の詩集だった。ナナタンがコーヒーをいれてリヴィングまで運んできてくれたので、僕はありがとうと言ってカップを受け取り、コーヒーを飲みながら詩集を読みつづけた。
彼女がスマート・スピーカーから音楽を再生した。ひたすら同じ音型を繰り返すミニマル的な電子音楽が流れた。キーボードをタイプする音とか紙がこすれる音とかそういう音ばかりを集めて作ったような音楽である。起伏に乏しくメロディもない。でも聴いていると不思議にリラックスできる。
ナナタンはシャワーを浴びに行った。戻ってきたとき、彼女は長い髪をロールパンのように巻き上げていて、そのためにただでさえ背の高い彼女はさらに大きく、というより細長く見えた。
詩集の表紙には、空に向けて煙を吐き出す煙突の絵が描かれていた。僕はその絵が気に入ったので、この本を貸して、と頼んでみたところ、ナナタンは迷いもせず了承してくれた。
泊まっていくんでしょ、と歯を磨きながら彼女は尋ねて、僕は否定した。でもだからといってすぐに帰るわけでもなかった。