(夫婦間の)ある出来事

ある日の入浴中、洗面所にいた妻と扉越しに話しているうちに口論になり、頭に血が上って、浴室の扉の擦りガラスを思い切り蹴った。ガラスが割れて散らばり、浴室の扉の下半分が割れて無くなった。僕は破片で足の甲を切って怪我をした。
妻は黙って洗面所に立ち尽くしていたが、やがて割れたガラスを片付けはじめた。彼女の顔に表情はなかった。やや青ざめているようにも見えたが、普段とさほど異なるというほどでもなかった。
僕は自分が行った行為に自分で驚いていた。怒りに任せてガラスを蹴りつけるなんて、あまりに感情的で幼稚な行為だった。恥ずべき行為だった。僕は片付けを手伝うこともせず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
妻が、怪我したんなら病院いかんと、と言った。僕は傷をシャワーで洗い流して身体を拭き服を着替えた。簡単な応急処置をしてから、妻が運転する車に乗って病院へ向かった。
車内では無言だった。妻は何も言わず、無表情でハンドルを操作していた。何を考えているのかはわからない。僕のほうは別に何も考えていなかった。申し訳ないという思いさえなく、後悔もなく、怪我の痛みもほとんど感じなかった。
病院で傷を縫合してもらう間は、僕は妙に機嫌が高揚していて、そばにいた看護師に、ふざけた言葉を口にしたりした。しかし治療が終わって車に乗りこむころには、また元の醒めた気分に戻っていた。車内ではやはり会話はなかった。

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その出来事の後、僕はいずれ妻から離婚の話を切り出されることになるだろうと覚悟していたが、数か月が過ぎても何もなかった。妻は以前と同じようにふるまっていた。僕を避けたり、冷淡になったりすることもなく、ひたすら普段通りだった。
僕のあの行為は、家庭内暴力の最初の徴候であったかもしれないのだ。直接手をあげたわけではないにしても、怒ってガラスを蹴破るというのは、それに匹敵する行為である。彼女はそのことについて何も思わなかったのだろうか?また同じように口論になったとき、今度はもっとひどい暴力をふるうかもしれない、とは考えなかったのだろうか。どうしてあんなふうに何もかも忘れてしまったみたいにふるまえるのだろう。
僕もまた、奇妙に無感覚な気分で日々を過ごしていた。あのとき覚えたはずの自己嫌悪のような気分さえ、もう忘れてしまった。今に至るまで妻に謝ってさえいない。いや、何度か謝ろうとはしたのだ。でも妻の前でその話題を持ち出すことが、なぜか不適切なことのように感じられて、できなかった。
浴室の扉は取り換えられ、足の甲の傷も完治して、今ではもうあの出来事の痕跡はどこにも残っていない。ときどき夢か何かだったのではないかと思うこともある。妻の演技があまりに完璧なので、そう思い込んでしまいそうになる。