ある休日・2

日曜日は曇っていて、風が強かった。そういう天候は変に気分を躍らせる。僕は朝食と掃除と洗濯を終えると、午前中は集中して仕事を行った。
午後、ブログを書こうと思ってブログの管理画面を開いたところ、通知が届いていて、クリックするとあるブログ記事にコメントがついた、という通知が表示された。僕のブログにコメントがつくことは珍しい。さっそく僕はそのコメントを見てみた。コメントがついたのは最新の記事ではなく、『ネズミ女殺害』と題した過去の記事だった。それはネズミ女を殺害する光景を描写した創作の文章である。その記事にごく短い一行のコメントがついていた。

「本当に殺されたらしいよ」

コメントの下にリンクが貼られていた。URLから察するにそれはニュースサイトのリンクだった。クリックすると画面に記事が表示された。

"―月〷日未明、下関市武久町にあるアパートで若い女性が血を流して死亡しているのが見つかりました。死亡したのは同アパートに住む河内山久子さん(27)。遺体には全身に切り傷や殴打の跡があり、警察では殺人の疑いがあるとみて捜査中。――"

被害者の女性の顔写真が公開されていて、僕はその顔を見たことがあった。それはいつも地下道で歌っていた、あの路上歌手の女だった。そうだ、彼女の名前は「ヒサコ」だった。殺された「河内山久子」とは彼女のことなのだ。
ブログの管理画面に戻り、またコメントを見る。
コメント投稿者の名前欄には"aa"とあるだけで、完全に匿名だった。コメントがなされた『ネズミ女殺害』という記事は、短い創作の物語であり、そこでは主人公の男が女を殺害する。僕は確かに殺されたその女を、歌手「ヒサコ」をモデルにして書いた。
コメント主は、僕がモデルにしたその女性が、本当に殺されたよ、と伝えているのだ。

僕は考えこんでしまう。なぜこの匿名の人物"aa"にこんなコメントができたのだろう。
僕が彼女のことを「ネズミ女」と呼んでいたことは、僕のほかに誰も知らない。それは僕が歌手「ヒサコ」につけた個人的なあだ名であり、その言葉を僕はこれまで一度も口に出して使ったことはない。もしその匿名のコメント主が、僕の知り合いとか、きわめて親しい人物だったとしても、知りようがない。
それならこのコメント主"aa"とはいったい何者なのか?

僕はアクセス解析の画面を開き、コメントがなされた日のブログのアクセスのデータを閲覧した。その日には十数件のアクセスがあり、そのうち一件は、僕が住んでいる下関市からのものだった。見知らぬコメント主"aa"は、もしかしたらごく近くに住んでいるのかもしれない。その人物はどこからか僕を見張っていて、僕についてのいろんな情報を集めているのかもしれない。そんなことを想像するとだんだん落ち着かなくなって、意味もなく部屋のなかを歩き回ったり、室内のいろんな隙間をじっと見つめたりした。そのうちに別の考えが浮かんだ。コメント主"aa"は、あの『ネズミ女殺害』のブログ記事を通報していないだろうか?問題の事件の容疑者はまだ捕まっていないらしい。僕はあの記事で、彼女をモデルにした女を残忍なやり方で殺害する場面を記述した。それはただの想像だったが、あの文章がもし警察の目に留まった場合、僕は何らかの疑惑を向けられるのではないか。
もちろん僕は誰も殺してなどいない。しかしなぜか、僕はそのことをさほど確信できずにいた。まるで自分が殺人を犯して、そのことをすっかり忘れているような、そんな感じがしていた。何しろ僕はネズミ女を尾行したことがある。いつかの夜、僕は地下道で彼女と言葉を交わしたあとで、彼女のあとをつけた。アパートまでついて行った。あのとき誰かが僕の姿を目撃していた可能性だってある。…そう、僕は完全な潔白とは言えない。しかし彼女が殺されたとされる日、僕には明確なアリバイがあった。その日、僕は家族を連れて鳥取に旅行していた。河内山久子が殺されたのはその日の深夜で、その時間帯には僕は鳥取市内のホテルにいて、その一室で家族とともに眠っていた。
その時間帯に僕がホテルにいたことを証明してくれる人物は、家族のほかにはいないが、鳥取から下関まで夜中に数時間で行って殺害を実行してから朝までにまた戻ってくることは、現実に不可能なのだった。もしそのアリバイがなければ、僕はもっと深刻に、真剣に思い悩んだかもしれない。
殺してないよ、と僕は独り言を言ってみた。しかしその声にはどこか嘘っぽい響きがあった。その嘘っぽい声は部屋の空間に雲のようにしばらく浮かんでいた。
『ネズミ女殺害』の記事を非公開にするべきかどうか、しばらく考えたあとで、結局何もしなかった。

夕方に妻と子供たちが帰ってきた。
パパ、ちゃんとお留守番してたん、とケイが言って、もちろん、と僕は答えた。